当たり前
みなさん、こんばんわ。
この前実家に帰った時、やたらと虫や鳥の鳴き声が耳についた。それが不快というわけではなく、こんなに鳴いてたっけという驚きがあった。
僕の実家は結構山に面したところにありまして、なので虫や鳥というのは当たり前にそこにいるもので、その鳴き声も右から左に受け流されてしまうほどに当たり前の環境音だった。でもあらためて注意して聞いてみると、東京では聞かないくらいにピーチクパーチク、ジージージージー鳴いてた。これを受け流せてたってすごいなと自分に感心しちゃうくらいに。
あるところでは当たり前のことが、別のところでは当たり前ではない。その当たり前さには、元いたところを離れてみてやっと気付く、というようなことはよくある。自分も地元を離れてみたことで、何気なくしか見えていなかった地元の良さを再確認したことはある。その逆もまた然りだけれど。
今回の虫や鳥の鳴き声もその一種で、自分の家の周りがどれだけ自然に恵まれていたか、それの再確認をした。(あるいは自分の家の周りがどれだけ自然ばかりであるか)
その再確認はいいとしても、僕は地元を出て15年近くが経つというのに、今更ながらの発見があることに少し呆れてしまう。だいぶ耳に残る虫や鳥の鳴き声を、僕は今のいままで受け流していたのかと。その感性の鈍さに情けないなぁと思ってしまう。
きっとそういう、あまりにも当たり前が染み込み過ぎてることってまだまだあるんだろうなぁ。よくよく注意して自分を疑っていかなきゃなのかな。