小太刀賢のアーティチョーク茹でました

役者・小太刀賢が、日記のような週記のような、日々のよしなしごとをそこはかとなく書きつくるブログです

花きゃべつひよこまめ

みなさん、こんばんわ。

 

先日の高尾山からいく日か続いていた筋肉痛もようやっと和らいできた。日頃まるで運動していないのがこういう時に出てしまう。ちったぁ運動しましょうね。

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(下山中にいた蟹)

 

さてみなさん、「花きゃべつひよこまめ」という漫画をご存知ですか?

 

篠有紀子さんが作者の少女漫画。

中学くらいの時に読んではまって、それ以来ずっと好きな漫画。ママのリカとパパの裕二、そして娘のミキの藤井一家を中心に進むホームコメディちっくなお話。特段劇的なことが起こるわけではない、幸せな家族のお話とみせといて、どこか軸がずれているトンチキさのある漫画です。

 

この漫画で未だに印象に残っている話がありまして。それは、ミキちゃんがテレビでアフリカのサバンナの特集見て、実際にアフリカに行ってみたいと言い出す回。

パパの裕二は、当然アフリカなんか行けるわけないよと言う。そう簡単に仕事は休めないし、なによりお金がかかる。不貞腐れるミキ。

娘の願いは叶えてあげたいけれど自分には現実がある、どうすればいいのだろうと裕二は友達の熊井さんに相談する。すると熊井さんは言う、アフリカに行けないんじゃない、行きたくないだけなんだと。行こうと思えば行けるのに、あれこれ理由をつけて行かないのは、それは本当はそれほど行きたいと思っていないのだと。裕二はハッとする。娘のことを思っていたつもりが、色々言い訳して自分のことばかりになっていた…裕二は、アフリカに行こうと決意する。

 

このお話、今でも時々思い出すくらいに妙に頭にこびりついている。人間、やろうと思えばなんだってできるのに、それなのにやらないってのは結局のところ、無意識にではそれほどやりたくないって思っちゃってるのだ。

 

このアフリカの話でいえば、本当に行きたいなら行けるスケジュールをどうにかして捻出して、お金も計画的に貯めたりなんだりするはずだ。でも無意識に引っ張られて、はなから行けないと決め付けてしまう。

 

普段の生活でもそういうことってあったりする。何か新しい事を始めようかと考えて、それでもあれこれ理由をつけて結局やらなかったり。

 

何かをやらない言い訳っていくらでも出てくるんですよね。言い訳をいっぱい考えついて自分を納得させて。そうだはじめから自分には無理だったのだと思い込もうとして。

 

無意識というのはよくよく見つめてみないと実感できないから恐ろしい。意識的に考えていることも、案外無意識に根差していたりする。このアフリカの話みたいに。

そういえばアドラーの教えにもそういう部分があったな。

 

きっとそうやって色々なものから逃げてしまっているのだな。

自分の気持ちというものをあまり過信しないで、その裏にある見えない意識を、これからはもう少し感じていこう。

気持ちの良い日にゃ外に出よう

みなさん、こんばんわ。

 

今日はめちゃくちゃいい天気でしたね!雲一つない快晴!ということで僕は、高尾山に行ってきましたー。 

 

この時期になると毎回登りたくなる高尾山。と言ってまぁ登山が趣味とかではないんですけどね。高尾山登るのも今回で3回目なので笑

 

前回は4年前でした。2015年。

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その時山頂で食べた蕎麦。

 

仲のいい友達と登って、その後たすいち「ノンタイトル」を見たという、よくわからんスケジュールでした笑

あの日もいい天気だったなぁ。

 

はてさて今回は寂しく1人で。昼くらいにふらふらと高尾まで。

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登る前に腹ごしらえで自然薯蕎麦を食べました。そそくさと食べてしまったので写真なし笑

高尾山ではとろろ蕎麦が有名らしいのでね、やっぱり食べとかなきゃ。自然薯って初めて食べたのですが、味が濃いのにクセがなくとても美味しかった!

 

さて登りましょう!

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高尾山って登り道が複数あってそれぞれ特色が違って楽しいのだけど、今回はこちらから。

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稲荷山コース!いやぁ中々に登りごたえのあるコースでしたよ!まさに登山といった感じ!

登り始めからしてこんな感じ。

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道中は岩肌がむき出しだったり、木の根が縦横無尽に張り巡らされていり。

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勾配もそれなりでキツくはありますが、今日はそこまで暑くなかったので気持ちよく登れた。僕の実家が山の近くにあるので、草木の匂いを嗅ぐとすごく落ち着く。

 

途中にはこんな道も

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そこから見えた都心

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さらに登ると、先日の台風の爪痕か

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空が近くなる。

 

1時間半くらいかけて山頂に到着

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山頂から見えた富士山

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もっとはっきり見たい方はこちらf:id:kantoku87:20191106185248j:image

(こちらは山梨での富士山)

 

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山頂は少し紅葉していました。けど登山道はまだ青々としていたので、見頃は来週か再来週かですかね。

 

下山中にはお団子食べた

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クルミ味噌が甘じょっぱくて美味い。こういうお団子、大好き。

 

まだ陽が落ちないうちに下山して、駅前の温泉でゆったりのんびり。いやぁいい日でしたー!!

 

僕、運動があんまり好きじゃないんですけど笑、軽い登山は好きなんですよね。同じ体を動かすでも、登山なら目的(地)があるので気持ち的にやりやすくて。あと、山登りしていると思考が整理されて頭がスッキリする気がする。

高尾山は、都心から行きやすいし登りやすいし、駅周りや山の麓にお店があって楽しくていい。

今回行ってみて、気軽に行けるのだなと再認識したので、これからちょくちょく行ってみようかな。

他の山も気になるけれど、登山初心者としては気後れしてしまう。高尾山で慣らしていくか。

 

これから紅葉も綺麗になってきますので、皆さまも登山に行かれてみてはいかがでしょうか。

 

 

不安との付き合い方

みなさん、こんばんわ。

 

一昨日は、たすいち「足がなくて不安」の稽古でした。

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まだ稽古が始まったばかりで全貌は見えていないけれど、今までとは違う面白さになるんじゃないかなという気がしている。勝手に、だけど、というより、今までと違くなくちゃいけないんじゃないかなと思っている。それは焦りからくるものなのかもしれないけれど、何か変化が欲しいと思っている。まぁ変わって欲しいっていう願望でしかないのかもしれないけども、とにかくいくばくかの新鮮味があることでしょう。停滞は後退ですからね、変化を恐れず前進前進。

 

今回は悪霊が出てくる話。ホラーではないけども、それでも悪霊は出る。

 

僕は悪霊に出会ったことはない。幽霊的な何かを見たこともない。だからといってあまり積極的に会いたいとは思わない。信じてないわけじゃないんだけどね。「悪」霊ではなく楽しい幽霊ならいいけども。

 

何か霊的なこととか、あとは妖怪とか物の怪の類いの不確かな存在のものって、元々は安心する為のものだったように思う。

 

昔は今よりもわからない事柄が世の中に溢れていた。わからなければ説明がつけられないわけで、その説明がつかなくて摩訶不思議なものは自然と幽霊や妖怪などの影響によるものとなった。昔は病気も何か霊的なものの仕業と思われていたりしてたし、考えてみればそれはスムーズな流れだ。

 

それは今から考えればおかしな話だけれど、科学も何も発達してない世界なら、未知の領域をそのまま残しとくより自分たちの手の届かない世界の仕業と処理してしまった方がよっぽど安心感を持てる気がする。

 

自分たちの考えの及ばない不安なものには、また違う種類の恐ろしさという不安をぶつけることで相殺する、人間の知恵って面白いね。

 

本で読んだのですが、脳には「神さまが見える領域」があらかじめあるらしいです。側頭葉の上の部分、左半球にあるみたい。その部分が何の目的で僕らに神さまを見せるのかわかりませんが、少なくとめ僕らには、生まれた時から神さまを見る才能があるということだ。ということは、神さま以外の幽霊や妖怪だって見ようと思えば見えるわけだ(「実際に」見るっていうのとは話が違うけれど)

つまり、僕らが何か自分の想像の範疇を超えたものに遭遇した時に霊的なものと結びつけやすいのは、それは当然の流れと言えばそうなのかもしれない。

 

とまぁそんなことをちょろちょろ考えたりしました。

本編が実際どんなもんになるのかは乞うご期待ではありますが、確実に面白いものにいたしますので、楽しみにしていてください!

 

たすいち第31回公演

「足がなくて不安」

2019年12月4日(水)〜8日(日)

サンモールスタジオ

一般 予約 3,500円/当日 3,700円

 

公演の詳細はこちらよりご確認いただけます

http://tasuichi.wixsite.com/tasuichi/31

 

ご予約はこちらからお願いします!

http://ticket.corich.jp/apply/103481/016/

 

次へ、

みなさん、こんばんわ。

 

9月下旬に稽古が始まった「息を止めるピノキオ」、昨日無事に全ステージ終了いたしました。

ご来場くださいましたお客様、またこの公演に関わりましたすべての方に御礼申し上げます。

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とても感慨深い公演だった。それが一番の感想だ。

 

正直言えばね、なかなかどうして難しい公演でした。それは個人的にと言うことなのだけど、幕が上がるまで不安で仕方なかった。稽古をしてもしてもゴールに辿りつかない、ゴールは見えているはずなのに、そこに向かってみるとそれは幻で、もっと遠くにまたゴールが浮かび上がって見えてくる、そんな感じでした。薄靄がかかった中を、立ち止まることを恐れて進み続けるみたいな心持ち。

 

それがね不思議なことに、劇場に入って音と明かりと美術ができて、いざそこでやってみると、これがすっと物語に入れるのだ。体をがんじがらめにしていたあの不安はなんだったのかというくらい、すっとそこに立って芝居ができたのでした。きっとその空間に物語が立ち上がっていたからなのでしょう。あとはもうそこにいればいいやという、諦めにも似た前向きさで演じることができた。

 

「息を止めるピノキオ」は僕にとって特別な、思い入れのある作品だ。たぶんこの作品に出会っていなかったら、今もう芝居をしていなかったと思う。

 

6年前の渋谷で、僕は役者としての立ち方を学んだ。あの真ん中に柱のある、天井が低くひんやりとしたブラックボックスで僕は、役との向き合い方、相手との向き合い方、作品との向き合い方を学んだ。役として生きるということ、本から立ち上がるその役の呼吸を理解し、相手とその呼吸を合わせる、そこから生まれる化学反応を肌で感じ取り進んでゆく。

 

あの年は僕にとって特別な年だ。「息を止めるピノキオ」から始まり「最高傑作」「1bitの深呼吸」へと続くあの渋谷での1年。忘れることはない、むしろ今の僕の礎だ。

 

そんな特別な作品を今回再度やるという。しかも今度は少し側から物語を見つめながら。終わった今、これで次に行けるなという気がしている。

 

特別な作品だ。でも特別だったからこそ縛られてきたのかもと思う。

 

今回あらためてもう一度やってみて、できてなかった部分はあれどやり切った感が自分の中にはある。あの物語は今回しっかり生きた。あとはもう考えなくていい、そっとしておこう。

 

ここからは、今までとは少し違う役者人生になる気がしている。具体的にどう変わるかはわからないし、明確な変化なんてないんだろうけれど、それでも前の自分とは違うという予感だけはしっかりと感じられる。

 

次はたすいちだ。ホーム。思う存分やったるぞ。

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頑張るを、シンプルに、頑張る

みなさん、こんばんわ。

 

先日、たすいち「足がなくて不安」の顔合わせでございました!

 

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マッチングが楽しみになるような、どんな化学反応が起こるかわくわくする、そんな座組だと思います。ここに細田こはるちゃんと中野亜美ちゃんが加わります。

 

本番は12月頭と少し先ですので、それまで覚えておいていただけたら嬉しいです!

もう少ししましたらチケット発売となりますので、しばしお待ちくださいませ。

 

その前には僕は「息を止めるピノキオ」ですね!

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加速度的に稽古が進んでいまして、目の前に映るシーンは色合いを増していき、どんどんとシーンが立ち上がっていきます。

 

初演に出ているので、素敵な物語であるのはわかっているのだけれど、だからこその怖さというか怖気ずきもあったりする。再演って多かれ少なかれそういうところはある気がするのだ。一度物語は完結しているわけで、蛇足にはならないだろうかという心配。

でも、初演とは環境も出演者も違うわけで、その新たな化学反応は純粋に楽しみではあります。

 

舞台をやっていると、どんなに言葉を尽くしてもやはり最終的には見て欲しいというところに行き着いてしまう。

舞台はライブだからと、ありきたりな言葉もどうかと思うけれどやはりその通りで、映画や小説のように、好きな時に好きなように楽しむことはできない、それが舞台だ。そりゃ映像に残すことはできる。けれども、その日その時その場所で得られるものが十二分にパッケージングできるわけじゃないのだ。

 

そいじゃあ見てもらうようにする努力をせねばとなるわけで、その努力とは果たして何なのだろう。

マーケティング的にね、戦略は色々あるのでしょう。特にこのネットワークが発達し、逆に個人が浮き彫りになる時代には。それでもそれでも、面白い作品にする、以外に突き詰めれば方法はないような気がして、そう考えれば、より良い作品にするための努力といえば、稽古を頑張る以外にほかないのだ。稽古にむけて準備して、実際に稽古して、それの復習をちゃんとして。当たり前を当たり前にやって本番に備えねばならないのだ。

 

だから今日も明日も頑張る。頑張るとは単純で簡単な言葉でしかないけれど、しっかりきっきり丁寧に、やることをやるのだ。

 

その成果の「息を止めるピノキオ」ぜひ観に来てくださいませ!

 

filamentzプロデュース「息を止めるピノキオ」
2019年10月18日(金)~23日(水)

@新宿シアター・ミラク

 

詳細はこちら

http://tasuichi.wixsite.com/tasuichi/blank-11

 

予約はこちら

https://www.quartet-online.net/ticket/pinocchio2019?m=0nibbdj

一人は孤独じゃない

みなさん、こんばんわ。

 

僕は一人っ子でして、小さい時から一人で遊ぶのに慣れていた。というより、それが当たり前だと思っていた。学校に行けば友達がいて、もちろんその友達と遊んだりするわけだけど、基本的には家では一人で(親はいるけどね)、だから一人遊びは苦じゃなかった。

 

一人遊びは苦じゃないし、一人でいることも嫌いじゃないけれど、一人カラオケとか一人焼肉とかそういう、一人〇〇は勝手が違って、やるのには多少の抵抗があった。

やっぱりね、それはそれこれはこれっていいますか、人数がそれなりにいて楽しいものって、なかなか一人でやってみようとはならないですよね。

 

はじめて一人カラオケをしたのは大学の時で、それは確か終電を逃してやむ負えなくだった。始発までの4〜5時間をカラオケで過ごす。お酒が入って眠いはずなのに、カラオケに一人でいることになんともいえない高揚感があって、それはどこか背徳感にも似ていた気がするけれど、朝まで目が冴えたまま気まぐれにいれた曲を歌っていた気がする。

 

そこからは、一人〇〇にあまり抵抗がなくなってきた気がする。あっでも、一人焼肉は行ったことないな。まだ自分の中で、焼肉=みんなでわいわいするものっていうイメージが強いんだな。

 

でもね、実は一人ディズニーはしたことあるんですよ、アフター6ですが。

成り行きで(どんな成り行きだ)行くことになったんですけど、いやぁあれはよかったですよ! ディズニーこそ、みんなで楽しむ場所の最たるものと思っていたので、そこを一人で楽しむという、何か抜け駆けをしているみたいなドキドキわくわく感が味わえてよかったのです。

 

そう、一人〇〇をすると、世界が広がる気がする。

それは、一人で楽しむことができる場所が増えるという単純な行動範囲のことだけじゃなくて、もっと気持ちの問題といいますか。

みんなで楽しむのが当たり前だと思っていたもの、どこか一人でやるべきではないと決め付けてしまっていたもの、それらを一人でやってみると、自分の中にあったそういった常識みたいなのが破壊されて、自分の価値観がうまいこと揺れる気がする。

なんだ、やっていいこといけないことって自分が勝手に決めてるだけなのだと、そんな当たり前だけど見落としていた部分に気づけて、自分の視野が広がって世の中がより面白く見えてくる。

 

なのでみなさまも、もし機会がありましたら一人〇〇してみてはいかがでしょう。単純に楽しいですし、より世界がクリアに見えてきますよ。

さ、僕も一人焼肉やってみよ。

幸福な飲み物

みなさん、こんばんわ。

 

昔食べたり飲んだりしたもので、もう一回味わいたいなぁってもの、あったりしますよね。どうしても忘れられないあの味を、なんとかいつの日か味わいたい。それは狂おしいほどの切なる思いではないけれど、機会があれば巡り会いたいものだという、そんなひそかな思い。

 

僕にとってのそれは、ヴェネツィアで飲んだホットチョコレートです。

 

大学終わりのひとり旅で行ったヴェネツィア(実際は途中で母親が来たからその時は母と一緒でした)、その時は2月ということもあり身体の芯まで凍えてしまうような寒い日でした。

 

ヴェネツィアをふらふら歩き疲れて、どこかで一休みとたまたま目に付いたカフェに入ってみる。コーヒーを注文しようとふとカウンターをみると、なにやら機械が動いている。透明な容器の小型冷蔵庫くらいのそれの中で、ドロっとした液体あるいは半固体が、ゆっくりと一定にかき混ぜられていた。それは艶やか茶色をしている。もしやあれはとメニューに目を移してみるとそこには、ホットチョコレートと書かれている。なるほどあれはホットチョコレートなのか。あぁやって常にかき混ぜていないと固まってしまうわけね。というわけで僕はホットチョコレートを注文した。

 

運ばれてきたホットチョコレートは、想像の3倍は濃いものだった。見た目からして粘度がすごいのがわかる。ココアに毛が生えたような代物とはわけが違う。なるほどホットチョコレートとは食べ物だったのか、そう感じさせてくれる。

これは早く飲まないと固まってしまうとひと口飲む。ドロっと具合いは想像以上だったが、それよりなによりその味だ。濃ゆくて甘ったるものを思い浮かべていたけれどそうではない。たしかに日本で食べるチョコレートより甘い。でもそれは甘いだけではない奥深さがある。カカオの苦味や旨味が甘さと混じりあって深味となっているようで、飲み飽きることなくぐいぐい飲んでしまった。むしろ、勢いごんで飲むのは勿体無いとスピードをセーブしたくらいだ。

 

そんなホットチョコレートをまた飲みたいなと定期的に思う。寒くなりこれからの季節は特に。イタリアに行けば飲めるよな…行きたい…

 

そういえば、あのカフェで見たホットチョコレートをかき混ぜていた機械、日本で見たことないけどイタリア独自なのかな。どこかのカフェで取り入れたらいいのに。そもそも日本で入手できるのか?

ということで調べてみると、中古品なら手に入れらるみたい。あと最近、ホットチョコレートを簡単に作れる機械が作られて販売に向けて準備されてるとのこと。

 

ふむ、いつの日か気軽にあの濃厚なホットチョコレートが飲みたいな。