小太刀賢のアーティチョーク茹でました

役者・小太刀賢が、日記のような週記のような、日々のよしなしごとをそこはかとなく書きつくるブログです

カチッと

みなさん、こんばんわ。

 

今日もバイトを頑張った。特段忙しいってことでもなくいつもと変わりないけれど、一日働いたらそりゃ疲れるよね。

それでも、その疲れをしみじみと感じているのは、今日が3月11日だからなのかもしれない。

 

11年前の今日のことはいまだに忘れない。あの日の出来事は頭ではなく体に記憶されているような気がする。忘れないし、あの日を経て僕の生活はカチッと路線が変わった。

 

多くの人にとって、この日は他の日とは違った一日になっていると思う。少なくとも僕にとってはそうだ。

 

ただ僕は、あの日そこまでの事の重大さを感じていなかった。僕が当時住んでいた場所は震源地から離れていたから、揺れはあっても被害は少なかった。だからそのあと周りで起きた出来事を、僕は何か薄い膜一枚隔てた向こう側の世界のことのように、ぼんやりと、ただ光の情報として接していたように思う。

 

なので僕は、今日この日に対して何かを思うということを、とても場違いで烏滸がましことだと感じている。11年経った今でも、僕の目の前には薄い膜がたなびいている。

 

それでもあの日、カチッとこれまでと変わった事は事実としてあって、そしてそれが今に繋がっていることも個人の事実として間違いなくある。それはとても個人的で、世界と共有するものではないけれど、僕にとって特別であることは変わらない。

 

そんな自分にとっての特別があって、かたや昨日と同じような一日がそこにある。3月11日。あの日と今が混じり合う。そして明日がまたはじまる。