小太刀賢のアーティチョーク茹でました

役者・小太刀賢が、日記のような週記のような、日々のよしなしごとをそこはかとなく書きつくるブログです

巡る当たり前

みなさん、こんばんわ。

 

Twitter金木犀の香りの話題を見かけることが多くなって、より一層の秋の深まりを感じる。話題を目にするまで気付いていなかったのだけど、ふと家の近くで香りがするなと思ったら、目の前の家の庭に立派な金木犀が植っていた。そこに気付いていなかったとは、日頃どんだけ周りを意識していないかってことだ、恥ずかしながら。

 

季節が巡るというのはいつだって気持ちが高まる。毎年のことでも、その季節ならではを感じられることに喜びがある。

季節が巡るっていうこと、今は当たり前に受け入れているけれど、いつまでだって変わらずにあるかといえばそうじゃないかもしれない。温暖化の影響によって、もしかしたら四季がなくなる可能性だってある。ここ最近だって、一応春夏秋冬とあるけれど、春と秋が短くなっているような感覚があるし、季節の変わり目もよりはっきりしなくなっているように感じる。

 

だから環境問題に対して意識していこう、ということでもなくて、いやもちろん大事なことで蔑ろにはできないけど、僕が感じているのは、あまりにも当たり前すぎてそれを享受することを当然と思ってしまうものも、いつまでも当たり前に享受できるとは限らないんだなということである。

 

当たり前は当たり前なんだから深く意識なんてしない。でもいつかその当たり前が目の前からなくなってしまったとして、その時に嘆き悲しんでももう遅いわけで、だったらそうなる前に、意識してその当たり前を受け入れていくことは、人生の豊かに繋がっていくんじゃないかなと思ったりする。あの時ああしておけばよかったと、未来で後悔はしたくないしね。

 

今年もしっかり秋を満喫しよう。それは来年も再来年もその先も、秋を秋と噛み締めて堪能する。そしてちょっと温暖化について考えてみたりして、手始めにいつもより出すゴミの量を減らしてみたり。そんな秋を過ごしてみよう。