小太刀賢のアーティチョーク茹でました

役者・小太刀賢が、日記のような週記のような、日々のよしなしごとをそこはかとなく書きつくるブログです

「ミスト」の中にいるような

みなさん、こんばんわ。

 

最近のニュースを見ていたりTwitterを眺めていると、映画「ミスト」の中にいるような気持ちになる。何が正しくて何が正しくないか、答えが見えるようで見えない。敵は見えているのに、その周りに立ち込める霧が邪魔するかのように疑心暗鬼の渦に飲み込まれてしまう。

 

あの映画の面白いところって、主人公サイドが必ずしも正しいとは限らないということ。安全な場所にいる僕らからしたら、視点の誘導もあって主人公サイドが最善を尽くしているように見えるけれど、もしあの現場にいたとしたら、果たして主人公と同じような行動を取れるだろうか、主人公たちを信じることができるだろうか。もしかしたら違う物差しの方が信じられるかもしれないし、所変わればその状況においてはそちらの方が正義だと信じれる度合いが高いかもしれない。絶対なんてことはなくて、というか絶対のものなんて突き詰めればわかりようもなくて、そうなるともう自分の物差しを信じるしかない。最後に頼るべきは自分なのだろう。

 

「ミスト」のラストは賛否両論あるけれど(僕は結構気に入っているのだけれど)、あれも描かれていたその通りに受け取ることが正しいとは限らない。ネダバレになるのでニュアンスでの書き方になるのだけど、結果としてある人の行動は正しく描かれているが、じゃあ果たしてその答えを論理的に導き出せるかといえばそうでないだろうし、もしかしたら違う人の行いの方がよかったという可能性だってあったわけで、それはもう運命というか結果論の話になってしまって、じゃあどうしたらってのは結局わからないんだけど…

 

そうなると行き着くのは、自分が納得できるかってことなのかな。周りのことはわからないけど、自分ばっかりは自分で自分のけつを持つってのが大事なのかな。そうすれば、霧深い中だって、えいやと一歩を踏み出せるのだろう。