小太刀賢のアーティチョーク茹でました

役者・小太刀賢が、日記のような週記のような、日々のよしなしごとをそこはかとなく書きつくるブログです

悩んで落ち込むこともある、人間だもの

みなさん、こんばんわ。

 

これはきっと、急に暑くなってきた影響もあるけれど、それだけじゃない、世間の空気感みたいのに当てられて、ちょっとぼんやりするなぁといった感じが今している。もやもやが晴れない、なんとも消化不良の感じ。

 

昨年の新型コロナウィルスの流行より、何度も力強い感情に当てられてきて、その都度何度もよっこいせと体勢を整えてきたが、それもここまでくると、もうご勘弁、どこか森の奥深くに隠れちまいたいぜと思う。

 

何が正しくて何が正しくないか、そんなの考えてると心が焼き切れちゃうきがするけれど、そうも言ってられないくらいには、いろんな種類の正義の悪意が目に飛び込んでくる。こういう時に確固たる意思みたいのを持っていれば、ちょっとやそっとじゃぐらつかないのだろうけどね。あんまり意思を固めずにここまで生きてきたもんで、あれも正しいこれも正しいかといってこれは間違ってるあれは間違ってると、意思があっちにふらふらこっちにふらふら、気付けば陸酔い。気楽に生きたいよなぁ。

 

折り合い折り合い。うまいこと現実に溶け込んで、心穏やかにいきたいもんです。それは逃げのようにも思えるけれども…ある程度の折り合いは必要なのかなと。

 

こうなってくると、神様に頼りたいと言いますか、これは正しいこれは正しくないと真理をズバッと告げてくれる存在にいて欲しくなる。きっとそうやって、砂漠にはヤハウェが誕生したのだよな。紀元前の方々の気持ちが痛いほどわかるぜ今。

 

どこの地にも神々の神話があるということは、みんな同じように悩み苦しみ何かにすがろうとしたってことで。これはここまでの人類が既に悩んだ道。そう考えれば、ここまでの歴史が自分を後押ししてくれるているようで、ちょっとは気持ちも晴れやか。本当か?

 

悩んで落ち込むこともある、人間だもの。

でも落ち込んだらまた顔を上げればいい。そう上げさえすればいい。そう自分を鼓舞して、神様にはもう少しあとで会いましょう。