小太刀賢のアーティチョーク茹でました

役者・小太刀賢が、日記のような週記のような、日々のよしなしごとをそこはかとなく書きつくるブログです

ボカロ

みなさん、こんばんわ。

 

先日関ジャムでボカロP特集をやっていた。今話題の曲の中にはボカロPが制作したものが多くあって、そんな彼らをピックアップしてボカロの世界を紐解いていく、みたいな番組内容だった。

 

ボカロが流行り出した時僕は大学生で、そこまでその世界に踏み込むことはなかったけれど、さわりくらいは触れたし、結構気に入って聞いていたりもした。でもそれも2、3年くらいの話で、大学卒業したらあんまり聞かなくなっちゃったから、今日までどんな歴史を辿ってきたのかよく知らない。よく知らないけれど、たしかにボカロPが作った楽曲を聴くとテンションが上がるし、大学当時の懐かしさが蘇る。

 

番組の中の話で、なるほど面白いと思った部分があった。ボカロ曲を作る時に、スマホからどう流れるか、イヤホンやヘッドホンでどう聞こえるかを気にするという。そもそもボカロはパソコンで作るから、聞けるのは生音ではなく電子の音になる。そもそもが演奏を前提にしているわけじゃないものね。だからその曲が一番聞かれるであろう土壌を前提に作るというのはそりゃもうごもっともだ。

 

やっぱり得手不得手じゃないけど、自分の味が一番出る場所に照準を合わせてやるってのは大事なことだよな。満遍なくこなすってのは難しいし、自分の苦手な場所で頑張っても徒労に終わることがしばしばだ。なら、自分が輝ける場所はどこなのか、それを見極めそこで力を尽くすというのが非常に大事なんだろうな。

 

ボカロ曲はボーカロイドが歌うことを前提に作られていた。だから、人が歌ったり演奏したりするのが難しい部分が多かったりする。でもそんな、独自のルールが成り立ってるような世界が今、生の部分と交わってきている。電子の良さと生の良さ、そこをお互いにつぶさないで混じり合せて新たな良さへと昇華していく。面白い進化だな、10年前には想像もしていなかったことだ。ある意味意外な流れなのかもしれない。

 

となると今後もそういう意外な流れ、流行があるかもしれない。その時には、その流行にしっかり乗っている側にありたいものだ。意外なものじゃなくたっていいのだけれど。