小太刀賢のアーティチョーク茹でました

役者・小太刀賢が、日記のような週記のような、日々のよしなしごとをそこはかとなく書きつくるブログです

渋谷で育ったら

みなさん、こんばんわ。

 

昨日渋谷に行った。久しぶりの渋谷は賑わっていて、コロナ禍での密集で不安もあれど、それでもテンションは高まるものである。

 

昨日はじめて気付いたのですが、渋谷って案外高校生が多いんですね。学校終わりに渋谷で遊んでるわけで、そりゃあ流行にも敏感になるわな。にしても、遊び場が渋谷の街になるってのはどんな感じなのか、まるで想像がつかない。地方から出てきた僕からすると、上京したての時の渋谷といえば、テレビでよく見る街であり、東京といえばでぱっと想像付く街ベスト3に入るくらいの場所だった。そしてその感覚は、多少やわらいだとはいえ、いまだに観光地感覚があったりする。そういう街を庭にしているとどんな風に育つのか。ちょっと興味が湧いてくる。

 

もし僕が青春時代を渋谷で過ごしていたらどんな風になっていたのかな。少しは根明になっていたりしたのだろうか。もし関東じゃない地域で育ったら、もしどこかの離島で育ったら、もし日本じゃなく海外で育ったら、僕はどんな人間になっていたのだろう。今とは全然違う、真逆のような性格になっているのか。はたまた、案外なんにも変わらなかったりするのだろうか。

 

別にここまで育った自分が嫌いなわけじゃない。ただ自分にはどんな可能性があったのか、その可能性が少しでも垣間見れたら楽しいのになと思うのです。変わるとこと変わらないとこ、自分の本質はどこにあるのか、それが少しばかり気になるのだ。

でも思うに、渋谷が庭みたいな地域で育っても、渋谷の街に満ちているポジティブな雰囲気には馴染めずに育ったような気がするんだよなぁ。イメージつかないんだよなぁ。