小太刀賢のアーティチョーク茹でました

役者・小太刀賢が、日記のような週記のような、日々のよしなしごとをそこはかとなく書きつくるブログです

みなさん、こんばんわ。

 

先日関ジャニ∞の番組「関ジャム」を見まして、その回は関ジャニの新曲「キミトミタイセカイ」の特集でした。

この曲、関ジャニ∞の曲の中では音域の高いもので、世界観も壮大なラブバラードで歌いこなすが難しいものらしい。そんなチャレンジングな曲の完成に向けて、それぞれのメンバーが自分の弱い部分や気付いていなかった強みに向き合いどう努力していったのか、「関ジャム」のその回はメンバーの努力している姿をまとめたものであった。

 

もう10年以上も活動しているグループが、今の現状に満足せず、さらに高みを目指して進んでいく。すごいことだよな。まだまだ自分たちの可能性を楽しみにしているってことだもんな。

 

その努力しているメンバーの凄さはもちろん、その努力している姿を見たことで、彼らがどこまで高みにいくのかが気になって、ついつい彼らのことが気になってしまうという状況に今僕はなっている。一種のドキュメンタリーを見ているかのように、彼らの物語を見ている。

 

そう、そこには物語があるんだよな。本の続きが気になるように、彼らの物語の先が気になる。そして彼らにはもうすでに多くのファンがいて、そしてさらに僕のように今から彼らの物語に乗っかる人がいて、その広がりを感じることでさらに、この物語を深く読み込んでいきたいと思わしてくれる。

 

今まで関ジャニ∞のことをあまり詳しくは知らなくて、曲を聞いていいなと思っても、じゃあファンになるほどかといえばそうじゃなかった。それが今回彼らが気になるようになったのは、彼らの軌跡が見れたからだろう。出来上がったものではなく、そこに至るまでにそれぞれがどうしたか。そこにドラマを感じて、より曲への親密度が増し、そして更に彼ら一人一人の人間性が気になるようになった。完璧なものではなく余白があったから、そこに僕の気持ちが寄り添えられて、いいなと思えたと思うのだ。

 

これまで、誰かのファンになっても、その結果の部分しか見てこなかった。でも楽しいのは過程の部分なのかもしれない。帰り道は道草が楽しいように、その道中に面白さがある。それに気付けてよかった。