小太刀賢のアーティチョーク茹でました

役者・小太刀賢が、日記のような週記のような、日々のよしなしごとをそこはかとなく書きつくるブログです

不意の出会い

みなさん、こんばんわ。

 

例えば車の中でのラジオとか、スーパーでの有線とか、そういう不意に流れてくる歌に妙に心動かされてしまうことがある。遠くからちょっとぐぐもった音で聞こえてくるその歌が、これからの人生に欠かせない曲になったりすることがある。

 

テレビから流れてくる歌よりも、不意に流れてくる歌の方がなんだか心に響く気がする。それは個人的にだけれど、小さい時からそうだったなぁと思う。なんでそうなんだろうとこの間考えていたのだけれど、ふと、不意ってのがミソなのかなぁと思った。

 

CDを借りてきたり、音楽配信やテレビで歌を聞くときは、こちらはしっかりと準備して聞く。そもそも目当ての曲や歌手がいてそれを楽しみに聞く。こちらは待ち構えて、受け入れる準備ができている。

 

しかし、不意の出会いでは準備が出来ていない。曲を聞くテンションですらなってないかもしれない。でもだからこそ、その時の自分はフラットだ。そのフラットな状態に向かって曲が流れてくる。積極的に曲を聞こうというのではないので、こちらから迎えにいくのとは違う状態、勝手に曲が入ってくる状態。そのフラットで無防備な自分の中に入ってくる曲は、自分の無意識と出会う。その無意識は自分の純粋なる部分と出会う。そこが無意識で純粋な部分だからこそ、合わないものは合わないではっきりし、ばっちりと合うものはとことん合ってはまるのだろう。曲に自分の内なる波長を合わせにいくのでなく、自分の波長に合うものがピックアップされる感じか。その波長は人生のその時々で変わったりするだろうが、波長自体はその時の自分の状態そのものであるわけで、そこに合うからこそ自分の人生にとってかけがえのないものとなり得るのだろう。

 

だから僕は、意図せず聞くラジオや有線が好きだ。そこでの出会いが好きだ。そこでの新たな発見によって自分の知らなかった一面が知れるから。それは面白楽しい。

そんなことを考えた。