小太刀賢のアーティチョーク茹でました

役者・小太刀賢が、日記のような週記のような、日々のよしなしごとをそこはかとなく書きつくるブログです

老化かどうか

みなさん、こんばんわ。

 

いつの頃からかビターチョコレートが好きになった。もともとチョコレートは好きだったけども、でも別にじゃあビターを選ぶかといえばそうではなく、できれば普通のがいいなと思っていた。それがいつからか、好き好んでビターを選ぶようになってきた。

 

同じように、いつの頃からか苦味やくせの強い料理を好んで食べるようになってきた。菜の花とかクレソンとかゴーヤ、ブルーチーズや魚の肝など、そういったのが無性に食べたくなったりする。

 

苦味のあるものって大人の味って言われて、歳を取ると苦味のあるものが若い時分に比べたら食べられるようになりますよね。でもそれってどうやら、歳を取ると苦味を感じる部分が鈍くなるからそうなってるってことらしい。その苦味を美味しいと感じるかどうかはまた別だけど、少なくとも若い時よりは苦味のあるものに耐性ができるらしい。

 

そもそも苦いものって毒性があるものが多いから、そういうのを食べないように苦味には敏感になっているわけで、ということは苦いのが大丈夫になるってことは、生きる上ではあまりいいことではないんですよね。今の時代は、それが食べられるものかどうかを味で判断するってことはないけれど、動物としては苦いのを食べないに越したことはないんですからね。

 

だから苦いのが大丈夫になったってことは、自分が衰えているっていう証拠になっちゃうわけなのです。でもまぁ、シンプルに大人になったって考えれば嬉しいことではあるけれど。

 

小さい頃、両親が美味しそうにナスを食べているのを見て、自分も食べてみたいなと思った。実際に食べてみて、一口目は美味しくないなって思ったけれど、食べ進めていくうちにこれはこれで悪くないなと思った。その時は、大人の世界に一歩足を踏み入れられた気がして密かに嬉しかった。

 

その気持ちが今もあって、苦味のあるものを食べられる自分に酔っているところがある。だけど実際美味しいと思って食べているからね、このままずっと、自分に酔い続けていきたいななんて思ったりするんですよね。