小太刀賢のアーティチョーク茹でました

役者・小太刀賢が、日記のような週記のような、日々のよしなしごとをそこはかとなく書きつくるブログです

古き良き

みなさん、こんばんわ。

 

小さい頃から、生まれる時代を間違えたんじゃないかなと思っていた。加山雄三の映画や70年代フォークソングに親しんだ幼少期を過ごしたのでその時代に愛着があり、いっそその時代に生まれていたらよかったのにと思っていたのだ。

 

別に今が嫌なわけじゃない。でもしっくりき出したのは最近な気がしていて、もっと若い時はどうも時代と折り合いがつけられていなかった。そんな中で昭和に愛着や親しみを感じ、その頃に生きていたらどんな人生を送っていたのかななんて少なからず妄想していた。

 

今より若い頃の僕は、世の中のスピードについていけていなかった。今も周りが速すぎると感じているけれど、もっと取り残されてる感があった。それに比べて70〜80年代はゆったりと見えた。おおらかな時代。僕でも追いつける時代だと。

 

当時は当時なりの苦労があったと思う。今の方がいい部分はきっとある。それでも僕には、今よりはまだ自分に馴染むんじゃないかと思っていた。それは、海外に想いを馳せるような感覚に近かったのかもしれない。ただこちらは絶対に行くことのできない、想いを馳せても願わないもの。そういう意味では、本の中の世界に恋するようなものか。でも逆にそれがよくて、絶対に交わることがない世界なら、良い面ばかりを見ていられる。

 

今でもその感覚は残っている。だから、昔のものアンティークなものに心惹かれる。その時代のものに触れて当時を感じる。ちょっと無責任なその行為、そのたわいもない様が好きなのだ。

 

ちょっとネットで古着を見てたから、ふとこんなことを思ったのでした。