小太刀賢のアーティチョーク茹でました

役者・小太刀賢が、日記のような週記のような、日々のよしなしごとをそこはかとなく書きつくるブログです

何が真実なのだろう

みなさん、こんばんわ。

 

TwitterのTLで、賢い人は案外陰謀論にはまりやすいっていうのを見かけて面白いなと思った。賢い人、頭のいい人ほど陰謀論的な眉唾な話は受け付けないのかと思っていたが、案外そうでもないらしい。

 

コロナ禍において陰謀論やカルト的な話を目にすることが多くなった。アメリカでは陰謀論者による事件も起きている。日本ではそういうのが目立っていないけど、いつ爆発するかわからない。過去からどう学ぶか、だけれど。

 

頭のいい人が陰謀論にはまってしまうのは、説明のつかないものごとにどうにか理屈をつけようと考えるかららしい。偶然の出来事にも筋道を立てようとしてしまって、それがうまくいかんから、きっと見えない部分に何か隠されているに違いないとなり陰謀論に繋がるらしい。

 

偶然が必然かどうかはさておき、たまたま起こったことは案外その通りたまたまで、そこに理屈をつけようとしても成り立たない。偶然は偶然で受け入れる、それが大事だったりするし、あまり深く考えないほうが心が平穏でいられたりしますよね。

 

といいつつ、僕は陰謀論が好きだ笑

信じて傾倒はしないけど、陰謀論的な事が実際正しいか正しくないかは突き詰めては確かめようがないわけで、だとしたら僕の知らない何かが存在していたとしてもおかしくないなと思うのだ。それに、そんな未知な部分があるほうが想像力を駆り立てられて楽しい。

 

世間的にも、陰謀論的なことを少なからず求めている節はあるんじゃないかな。昔「ダヴィンチ・コード」が流行ったけれど、あれも下地は本当かどうか定かでないカルティックなものだ。それが話題になったのは、作品全体の出来がよかったからはもちろん、無意識的に秘密の出来事を求める心理が働いているんじゃないかなと思ったりする。

 

何が真実かわからない、自分が見聞きしたものですら疑わしい世の中で、それでも寄る辺は自分自身になるだろうから、何にも加担せずフラットに見ていけたらいいよなと思う。陰謀論も現実も、あまり色眼鏡せず見れたらいいよな。