小太刀賢のアーティチョーク茹でました

役者・小太刀賢が、日記のような週記のような、日々のよしなしごとをそこはかとなく書きつくるブログです

そもそもが大胆ではない自分も

みなさん、こんばんわ。

 

昔の自分勇気あったなぁとふと思った。年々、大胆に生きれていない気がする。元々がそんなに積極的ではないけれど、近頃は気付けば安定を求めてしまっている自分がいる。そんな中で、そもそもが大胆ではない自分も、あの時の判断は中々思い切ってよかったと思える場面が、昔の方がまだあるように思う。

 

今思い至る中で1番、自分よくやったぞと褒めたい出来事は、高校生の時に先生に文転をお願いしたことだ。

 

僕は昔獣医になりたくて、だから高校では理数科に入ったんですよね。高2までは、理数が自分には合わない気がすると思いつつも、まぁそのまま理数科にいまして。でも高2の2学期くらい、いよいよこれからの進路を決めなくてはって時に、僕は文系の大学に行きたいと思うようになっていた。何がどうしてそうなったのか、その大事な部分を割愛させていただきますが、その時はもう獣医になりたいという気持ちはだいぶ小さくなっていた。そして進路相談の段になって、僕は思い切って先生に文転したいと伝えた。あの時のどきどきは今でも覚えている。言わなくていいなら言わないでいたかった。理数科に入っていてわざわざ文転するなんてなんじゃいそりゃって感じだし、その時の進路担当の先生も怖めの先生で話したら怒られると思っていたし。でも結局は勇気を出して伝えて無事文転できたわけなのですが(正確にいうと、文系の大学の受験を認めてもらえたということで、授業は普通に理数科の授業を受けていたが)、よくまぁその勇気を出せたと自分を褒めたい。何が自分を奮い立たせたのか。そこに至る思いは忘れないけれど、最後の一押しとなった自分の勇気、それの源は定かでない。なんにしても、昔の自分、よくやった。

 

過去の選択が今を形作るのであれば、今もこれからも昔の自分によって生かされている。過去を振り返ってばかりはあまりよくないと思うけれど、その過去の上に立つ自分であるならば、これまでの自分をしっかり認めていかなくちゃ。自分、ありがとう。