小太刀賢のアーティチョーク茹でました

役者・小太刀賢が、日記のような週記のような、日々のよしなしごとをそこはかとなく書きつくるブログです

「可愛い」に溢れてる

みなさん、こんばんわ。

 

最近、「可愛い」って思ったり口に出したりすることが昔より増えた気がする。しかもそれは、愛くるしい動物とか小物とか、はたまた異性だったり特定の対象じゃなく、ヒト/モノ関係なく、老若男女関係なく、ふとしたきっかけで「可愛い」って口にしてしまう。

 

自分の中のこの「可愛い」の敷居が低くなっている状態はなんなんだろうなと、何に対して反応しているのかなと考えてみた。考えてみて思い至ったのが、どうやら今僕は、モノやヒトといった対象じゃなく「行為」に対して「可愛い」って思っているみたいなのだ。生き物の仕草だったり物が置かれている状況や佇まいだったり、そういう対象の外側の事象に対して反応しているのだ。そしてその感覚は、「可愛い」というより「愛しい」というニュアンスに近しい感覚に思える。どこか一歩引いた「愛しみ」からきた感情なのだ。

 

ブログでこんなことを書かれても、だからなんだという話なんですけどね笑

でもね、自分の外側に対して「愛しい」と感じられているということは、自分の心理状況がポジティブに傾いているからだと思うんですよね。これが悲観的だったり落ち込んでいたりのネガティブな状況だったとしたら、周りに対してもっと攻撃的な反応になってしまうはずで、こう守り大事にするような「愛しみ」の感覚は、自分の心にゆとりがなくてはできないと思うのです。そう考えると、自分はまだ前向きな心持ちでいられているのだと少しほっとする。

 

歳を経て周りに対する「愛しみ」が増えたのはきっと、自分に対する期待値がどんどん小さくなってきたからなのだろう。昔は根拠のない強気から自分を大きく感じて、どうにか周りより上に立ってやろうと常に思っていた気がする。だから周りを受け入れるということに無意識の抵抗があった。それが今は、自分の等身大がだんだんわかってきて周りとの違いがわかるようになってきたし、比べるのも疲れてきちゃったとなってきた。それよりは、自分との差異をおもしろがりたいって気持ちにシフトしてきて、それが「愛しみ」に繋がっていくのかなと思う。なんて、自分のことを考えてみる。この感覚、自分としては悪くないなぁ。