一人の手
みなさま、こんばんわ。
小学5年生の時、帰りの会に歌の時間というのがあった。先生が選んできた曲を歌うのだけど、2週間ごとに1曲、みたいな感じで歌っていた。
歌は、その頃流行っていたようなナウいものではなく、先生が学生のころに流行っていたフォークソング、「あな素晴らしい愛をもう一度」や「戦争を知らない子供たち」などだ。それを先生が弾くアコースティックギターに乗せて歌う。フォークソングなんて聞いたことないからみんな初めは戸惑っていたけれど(僕は家でフォークソングがよくかかっていたので前のめりだった)、だんだんと歌の魅力に惹かれていって、最後にはみんなその時間が待ち遠しくて堪らなくなっていた。
その先生が最初に教えてくれた歌が、本田路津子さんの「一人の手」だった。この曲、今でもふと口ずさむくらい好きで、でもまだ二桁になったばかりの幼気な少年にはなかなかショッキングなものだった。1番の歌詞がこちら。
一人の小さな手 何もできないけど
それでも みんなの手と手をあわせれば
何かできる 何かできる
いかがでしょう。僕としては、「何もできないけど」というのが驚きだったのだ。まだ可能性しかなかった子供には、何もできないという人間が所詮はちっぽけな存在だと言っているような歌詞は、なかなか受け入れ難いものだった。
そのマイナスのショックがあったからこそ、そのあとのみんなで力を合わせれば何かできるよという部分が余計に胸に響いたのでした。
あれから大きくなって、この歌詞の意味をひしひしと感じている。
どうやったって1人には限界がある。でもそれは諦めではない。1人が2人、2人が3人、3人が4人…と増えて力を合わせていけば、予想外の力になって、圧倒されるような壁だって乗り越えられるのだ。
そのためには、何もできないと知りながらも、諦めずに必死になること。そこにこそ、神は宿るのだ。
小学校のあの帰りの時間。僕は貴重な時間を過ごしたのだな。