小太刀賢のアーティチョーク茹でました

役者・小太刀賢が、日記のような週記のような、日々のよしなしごとをそこはかとなく書きつくるブログです

ナルシスト発言、ともとれる発言

みなさん、こんばんわ。

 

最近僕、自分の顔が好きになってきた。

いきなり何をナルシスト発言と思うかもしれませんがそうではなく、自分の顔に慣れてきたというか、しっくりくるようになってきたというか。

 

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(これは駄目たすでバイクの装飾を探している時の写真)

 

僕、昔は自分の顔が好きじゃなかったんですよね。よくないとこばかり見えてしまうというか、いわゆるイケメンの顔だったらなぁと思っていた笑

だから自分自身にも自信が持てなくて、下ばかり見ていた気がする。

 

それがまぁ芝居をやるようになり人前に出ることになって、好みじゃないとはいえ自分の顔を自らさらけ出すようになったので、だんだんと自分の顔ともなんとか折り合いがついてきた(自分の顔に折り合いって…)。

だって、近頃ではブロマイドの販売したりして、小太刀の写真を販売してるんだもの! 否が応でも見た目のこと考えますからね! そりゃあ、自分に自信を持たなきゃやっていけないですよ。

 

そうして自分の顔をだいぶフラットに見れるようになって気付いたのが、最近なんだか顔つきが変わってきたなということ。

劇的に何がどうこう変わったわけじゃないんだけど、なんだか妙にしっくりくるのだ。見慣れたはずの顔が、どこか違って見える、なのに違和感がない。むしろ、自分で言うのもなんだがいい顔をしている。

 

今まであまり好きじゃなかった自分の顔を、いやいや中々ええやないのと思えるようになったのは何故なのか。そう、顔つきが変わったから、というか、顔に年齢がしっかり刻まれてきたからなのかもしれないと思った。

数年前よりシワが増えたとかはないんだけど(細かなシワは増えただろうけど)、目には見えない、肌のハリだったりする部分に明らかに年齢が出ているのだ。それはね、本来いいことではないのかもしれない。潤いが足りなくなっているってことだから。でも僕はそれよりも、ここまでの32年の歩みを感じることができ、その歩みが悪い方には行ってないだろうことが見てとれて、そのことに喜びを感じてしまうのだ。自分のここまでの人生はあながち間違いじゃなかったのだと、自分の顔が教えてくれている気がするのだ。

 

だから僕は、今の自分の顔が好きだ。

これからどんどん歳を重ねていくことで、さらにその月日を顔に刻んでゆくのだ。これからどんな顔になるだろうか。一度好きになった僕の顔、これからもずっと好きでいられるように、今日も明日も頑張っていこう。