小太刀賢のアーティチョーク茹でました

役者・小太刀賢が、日記のような週記のような、日々のよしなしごとをそこはかとなく書きつくるブログです

ロマンティックでドラマティックな縄文時代

みなさん、こんばんわ。

 

今日ふと、そういえば地元の群馬県桐生市に、縄文時代の遺跡で有名なのがあるんだったというのを思い出した。

千網谷戸遺跡というのですが、ご存知の方いますかね。旧石器時代岩宿遺跡は有名かと思いますが、千網谷戸遺跡はまぁ聞かないですよね。地元の人もよう知らないです。

でもね、縄文史的には結構重要ような遺跡らしいのです。千網式土器とか、凝った装飾の土製耳飾は一見の価値ありですよ。

 

桐生市は、水田にむいていない土壌をしている。だから桑栽培が盛んで、それが功を奏したのか、桑を餌とする蚕を育てて絹を作り、そこから織物で一時代を築いた。ただ稲作が始まった弥生時代ではあまりいい土地にはならないので、弥生以降の遺跡が少ない。その代わり、周りを山々に囲まれた環境が狩猟にむいていたので、縄文時代の遺跡は結構残っている、というわけなのだ。

 

地元の人もあまり知らない千網谷戸遺跡、なんで僕が知っているかというと、中学生の時にその遺跡について調べたから。

 

中学の時に桐生市の歴史を調べようみたいな授業があって、当時からひねくれていた僕は、メジャーな時代ではない縄文時代あたりを調べようとした。そしたらなんとラッキー、有名な遺跡があったという。ちょうどその時タイミングよく、親の知り合いの知り合いが桐生市の遺跡発掘をしていて(千網谷戸遺跡とは違う遺跡)、そのお手伝いをしちゃったりもした。

だからそう、今考えれば僕は、縄文時代に何かしらの繋がりがあって、今回駄目たすに関わるのも、その昔から決まっていた運命だったのかも…!

(といって主に出ていたのは令和の方だったけれど…笑)

 

縄文時代ってすごく昔な気がするけれど、いや実際にすごく昔なんだけど、その当時の世界を見てみると、四大文明がおこっていたりするんですよね。そう考えると、思ったより身近に感じられる(気がする)。

縄文人が野山で狩りをしている時に、ピラミッドができたり、ユダヤ教が誕生したり、オリンピックが行われたり、アレキサンダー大王や始皇帝、はたまたキリストがいたりしたんですよね。

そう考えると、駄目たすにあったような縄文世界もあながち間違いじゃないのかもしれない。

 

古代のことってロマンがありますよね。あまり明らかになっていない縄文時代、それをああでもないこうでもないと想像、もとい妄想してみるのはなんとも楽しいね。きっと僕らの知らないドラマティックがそこにはあったのでしょう。