小太刀賢のアーティチョーク茹でました

役者・小太刀賢が、日記のような週記のような、日々のよしなしごとをそこはかとなく書きつくるブログです

そこここあそこ、その間

みなさん、こんばんわ。

 

前に比べて「これこれこうであらねばならない」って考えることが少なくなってきた。まぁそれもあるよねって感じ、物事に対してやんわり対応できるようになってきた気がする。

 

例えば好きなものに対して。前だったら、好きなんだからとことん極めなきゃとか、これくらいで好きっていうのはおこがましいとか、あれも好きこれも好きなんて目移りするのはよくない、なんて考えていた。でも近頃は、好きなものにご執心なのもそれはそれでどうなのかな、幅広く好きになっていいし好きの度合いなんて気にしなくていいのかもしれないと、好きに対してあまり深刻に考えないでやんわり考えるようになってきた。それは「好き」に関することだけじゃなくて他の物事もそうな気がして、固執するってことに熱心じゃなくなってきた。

 

なんでそうなったのか。思い付くようなきっかけはない。でも歳を取るにつれて色々考えることも増え、何かに囚われることの生き辛さを感じてそれでもっとやんわり生きようと思い、物事に固執するのもどうかと考えるようになったと思う。

 

そう、あんまり一直線に思い詰めちゃうと、そのものとの距離感がわからなくなっちゃって、自分がどこに立っていればいいのか見失ってしまう。そう思うようになってきたのだ。

 

これを書いていて、なるほどそういう事かと今わかったのだけど、僕は距離感というのをすごく重視しているようだ。それは物であったり人であったり物事であったり、そことの距離感をどうするか、それがどうやら気になるみたいだ。そしてそれは、「距離感という考え」に対してもしっかりと距離感を測っていきたいと考えている。

 

図らずもいま、自分が大事にしていることがわかった。もしかしたらこの考えも、今後ふっと変わるかもしれない。それならそれで構わない。でも少なくとも今は、この「距離感」に対する考えをぼんやりと熱心に眺めていたいなと思うのでした。