にじり寄る無意識の怖さ
みなさん、こんばんわ。
「盲信」というのはとても怖いなぁとつくづく思う。ネガティブなものはもちろん、それがポジティブな方向であっても、だ。どちらにせよ、力強い推進力は危険を孕んでいる。多かれ少なかれ周りを傷付けずにはいられないだろう。
近視眼的に信じるのはいけないとわかっていても、自分の気付かない内に、何かを疑いなく信じてしまっていることってあると思う。その無意識、或いは無責任さこそ、ある事柄に対して考える時にもっとも注意するべき点なのかもしれない。
例として環境問題を挙げてみる。僕はそこまでこの問題に明るくないので、あくまでも例えだということを念頭においてください。
環境問題で語られる一つに、プラスチックの問題がある。昔から話題にはあったけれど、最近特に熱を帯びてきていると感じられる。プラスチックゴミの問題やマイクロプラスチックに関する問題は世界中の課題であり、そのために脱プラに向けてそれぞれの国が色々な方針を打ち出している。飲食店でのストロー廃止とか話題になりましたもんね。
個人でも、プラスチック容器のものを買わないとかマイストローを持つなど、脱プラに向けてアクションを起こしている人が増えてきているように感じる。
環境問題が身近になって、一人一人が意識していくことは非常に大事だと思う。でもここで考えたいのは、このプラスチックの問題で言えば、「プラスチックを無くすこと」に重きが置かれ過ぎてはいないだろうか、ということだ。出発点は環境問題だったのに、いつの間にかプラスチックを目の敵にしていないだろうか。プラスチックを使った方がいい部分もあるんじゃないか、もしかしたら脱プラすることで逆に環境を汚染している部分があったりするんじゃないか。そういうことに考えを巡らせられているかどうか、ここが大事なんじゃないかなと思う訳です。
上で書きましたように、環境問題に関してはあくまで例えです。こういう一方を信じてもう一方をシャットアウトしたり、自分が信じるものに突き進むことで他方にどんな影響があるか見て見ぬふりをする、そういうことに無自覚になってないか、それを意識して考えていきたいなと思うのです。
怖いのは無意識、無自覚だという部分だ。じゃあどうすればというのは答えはないけれど、自分に対して頻繁に、自分は盲信的になっていないか、そのものとの距離感を測りかねていないか、そのことを問いかけていくことが必要なのかなと思う。
これは僕の覚書みたいなものです。ここに書くことで、無意識を意識していきたいのです。