小太刀賢のアーティチョーク茹でました

役者・小太刀賢が、日記のような週記のような、日々のよしなしごとをそこはかとなく書きつくるブログです

初日が終わったよ!(昨日)

みなさん、こんばんわ。

 

劇団肋骨蜜柑同好会

第11回公演

「ダブルダブルチョコレートパイ」

昨日無事初日が明けました!

ご来場くださいましたお客様、まことにありがとうございます!

 

ついにここまできたんだなぁという感慨が強い。

駄目なたすいちが終わってからまだ2カ月経っていないくらいなのに、なんだかすごく長い時間が過ぎた気がする。稽古がそんなに多くあったとかではないのだけれど、きっと一回の稽古の密度が高くて充実していたから、実際の日数以上に月日が経った感覚があるのかもしれない。

 

今回のお芝居、お客様にどう見えているのかがすごく気になる。

正義と悪があってっていうパキッとした勧善懲悪ではないし、作品として群像劇になるので明確な主人公というのがいないから、わかりやすい主軸があるわけではない。物語としてわかりにくいってことはないけれど、一役者としては見せ方が難しいなと思っている。一人一人の役の生き様の重なり合いによって物語が紡がれるのですが、なんと言いますか、自分の役を一生懸命生きるのが大事でありそこに集中していると、果たして物語として面白いものが作れたのだろうかわからなくなる笑

いや、面白いと思ってやっているし、外から目線も意識して作っているけれどね! でも、一生懸命やればやるほど、おれ、生きてるだけだしなぁ、みたいな心境になって…笑

だから純粋に、どう見えたのかの感想が知りたいっていう、そういう事でして。いつもよりどんな作品になっているのかが気になってしまうっていうことでした。

 

あと今回、いつもよりお客様の視線・存在を強く感じました。

覗き見られている、と書くとネガティブな響きになりますが、見られているという事実を強く実感する。そしてその視線によって、あぁ役者として、その役として存在できているのだというのを実感している。

お客様に見てもらう観測してもらうことで初めて、役者としてその役として舞台に立つことができる。それは共演者からの視線もおんなじで、でも真に役として成立するには、舞台の向こうからの視線が必要になる。

上に書いたように、僕は今回必死に役を生きていて、共演者との関わりによってその役が生かされている訳だけれど、その生き様が物語となるにはお客様の目線が必要になる。それがなければただ生きているだけで物語ではなくなってしまうから。

 

というわけで、今回は普段よりお客様の視線が気になるというかひしひしと感じられるのだ。それはもしかしたら、舞台という箱庭の中で演じている僕らがお客様からの視線を感じるのと、船という密室の中にいる役達が、ここではないどこかにいらっしゃるであろう神の存在を感じてしまうのとが似ているから、いつも以上に視線に敏感になっているのかもしれない。わからない。ただの自意識過剰かも笑

 

何はともあれ、見に来てください! 覗き見てみてください! 11人の生き様を!!

 

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劇団肋骨蜜柑同好会

第11回公演

「ダブルダブルチョコレートパイ」

8/3(土)〜8/12(月祝)

千歳船橋APOCシアター


詳細はこちら→

https://rokkotsumikan.com/stage/11th/


ご予約はこちらより→

https://rokkotsumikan.com/reserve/form?id=wwcp&member=kodachi