小太刀賢のアーティチョーク茹でました

役者・小太刀賢が、日記のような週記のような、日々のよしなしごとをそこはかとなく書きつくるブログです

ありがとう、僕

みなさん、こんばんわ。

 

稽古や本番がないときも演劇について思いを馳せることはしばしばあるのだけれど、最近、昔やった基礎的な稽古があったおかげで今があるんだなぁとしみじみ感じる。

 

身体の動かしかただったり発声のしかただったり、作品へのむかいかただったり、そういうまずはじめにといった部分の取り組みかた、昔先輩から教えてもらったことが今ようやく実感となって身になってきている気がする。

 

演劇をはじめたばかりの時は、それまで演劇に縁のない人生だったので、先輩に言われたことをただこなしているだけであった。はじめはどの分野でもまぁそうだろうけれど、知識がまるでないので、何が良くて何が悪いのかなと区別もままならなかった。演劇に対して自分がなかったのだ。

でも逆に考えれば、その良し悪しの判断をせずにとりあえず全部飲み込んでみるって姿勢は、あながち間違いじゃなかったかなと思う。少なくとも今思い返せば自分には合っていた演劇の取り組み方だった気がする。つべこべ考えずに言われたことをとにかくやる、辛いとか、これ必要なやつか、なんて考えなくやったことで、結果的に後々の判断材料にすることができた。頭でっかちだったらやらないで済ませちゃうだろうことも、今になって役に立っていることもあって、そう考えると素直にやっておいてよかったなと思う。

 

ただ言われたままにやっていた基礎的なものと、経験によって培ったものが合わさって、その基礎的なものの意味・実態を把握できるようになった。なるほどこの訓練はここに役立つのか、この訓練はここが意味がなかったのかもしれないと、そうやって伏線回収のように、その当時に懇切丁寧に教えてもらうよりもより重みを持って身になった気がする。

 

だから昔の自分を褒めてあげたい。今演劇をやれているのは昔の自分が好き嫌いで基礎練を疎かにしなかったからだ。ようやくだんだんと、基礎練のありがたみがわかってきたよ。ありがとう、僕!