小太刀賢のアーティチョーク茹でました

役者・小太刀賢が、日記のような週記のような、日々のよしなしごとをそこはかとなく書きつくるブログです

遊ぶように生きる

みなさん、こんにちわ。

 

昨日、家から駅に歩いてる道すがら、けんけんぱのあとをみつけた。道路にチョークで丸が連なって書かれているあれだ。いまだにやっている子供はいるんですね。今がコロナで遠出ができないから、遠くに遊びに行けない子供たちにとって、近場でできるものといったらそれだったのかな。

 

僕が小さい頃はもう、子供の遊びといえばテレビゲームが主流になっていた。僕も例に漏れずゲームに夢中になったけれど、外遊びは外遊びでしっかり楽しんでいた。僕の家は山の上にあったので、その山の中で秘密基地を作って遊んでいた。秘密基地というか秘密基地らしきものを作ってそこを拠点にし、山の中をあてもなく探検ごっこをした。小学生のころの、学校帰りからの2時間くらいの友達との遊びの時間が、あの時は随分長い時間に感じられたものだ。楽しかったなぁ。

 

今の子供たちって、僕らのころよりさらに遊びの幅が広がっていて、ゲームだけじゃなくてネットもあるから、外で遊ぶのなんてだいぶ少なくなっているのかなと思っていた。それでも上記のけんけんぱみたいに、外遊びを選んでいる子はいるのだね。なんだから嬉しくなる。別にゲームが悪いとは思わないし、外遊び推奨ってわけでもないのだけれど、バランスよく外でも中でも遊んで欲しいなと思う。外には外の、中には中の良さがあって学びがあるはずだから。

 

そう、子供にとって遊びは学びだ。遊びで得た気付きは大人になっても活きてくる。それに、遊びのように好奇心の羽広げて学んだ方が、きっと知識の吸収もいいと思うのです。

 

ようは何を遊びと捉えるかとなってくるのかな。生活と遊びを別にするとどうしても遊びは必要ないものになってしまう。だとしたら、生きることすなわち遊びと考えれば、何もが必要で大事なものと思えてくるじゃないか。だいぶ極端な話だけれど。

となればこれからも、子供のころに遊んでいて感じた気持ちを忘れずに、遊ぶように生きていきたい。