小太刀賢のアーティチョーク茹でました

役者・小太刀賢が、日記のような週記のような、日々のよしなしごとをそこはかとなく書きつくるブログです

もやもやしたまとまりのないもの

みなさん、こんばんわ。

 

僕はあまり自分の気持ちや考えを言葉にするのが得意ではない。感覚を優先させて思考に落とし切れていないので、うまく言語化できないのだ。だから、なんとか言葉を使えるように、その訓練のためにとこのブログをはじめた。

 

それ以来、どうにか頭の中のものを言葉として外に出せるようにとしてきたが、ここ最近見た映画やドラマなんかから感じた気持ちから、あまり言語化しなくていい部分っていうのもあるのかなと、ふと思った。

 

自分の中にあるものはある程度言語化できて説明できる方がいい気がしているけれど、自分の中のもの全てをっていうのは少し野暮かもしれないなと思うのです。

自分の気持ちや感じたことを言葉にすることで、それは思考の熟練につながり、巡り巡って心を豊かにし、心情の機微が豊富になると思っている。より豊かに世界を感じるには、自分の感覚に意識的にならなきゃいけないよと思うのです。

 

でも、何かに触れて得た感覚で、なんか外に逃したくないなぁってものもあると思う。そこから得た感覚の広がりは感じるけれど、それをまとめる言葉を用いず、あるがままのもやもやしたまとまりのないものとして抱えていたい、そんな気持ちってあるように思う。

 

それを端的に表した言葉が「エモい」ってことなのだと思う。この言葉、たった三文字なのに捉え方が幾つもある優れものだ。だからこそ、そればかりに頼りっきりになるのはよくないけれど、その三文字がしっくりすることってのもあるわけで。その部分って、無理に他に形容しようとせずに、「エモい」の後ろ側にあるもやもやっとした心の揺れは、そっと自分の中にしまって独り占めして、ゆっくりじっくり味わうってのもいいのかなと思う。

 

言葉を学び習得することは大事で大切だけれど、それは万能ではあるわけではない。言葉が大事だからこそ、そこに当てはまらないものに出会えた時は、よっしゃきたぜと慈しむ。そんなのもいいよなぁと思うのです。