小太刀賢のアーティチョーク茹でました

役者・小太刀賢が、日記のような週記のような、日々のよしなしごとをそこはかとなく書きつくるブログです

つなげてつなげて

みなさん、こんにちわ。

 

先日、たすいちの劇団稽古があった。と言ってもこのご時世、対面することは難しいのでオンラインでの稽古。主に各々の演劇観の擦り合わせといった感じ。時間がある今だからこそ出来ること。

 

その稽古の中で基礎練についての話題があった。どんな基礎練をしてきたか、どんなやり方だったか。演劇の出自が違うので、それぞれやってきた基礎練が微妙に違う。基礎的な能力をつけるという目的は一緒でもアプローチは当然異なる。僕は演劇を始めたのが大学からなので、基礎的な部分は出身の劇団テアトルジュンヌで学んだ。演劇のイロハもわからずにただ我武者羅に基礎練をやっていたけれど、結果的にそこで培った物は今も役立っている。

 

基礎練って、一周回っての今だからこそそのありがたみがわかったりする。昔は、どういう目的で練習しているのかもよくわからず、能動的でなくただやらされてる感があった。こなしているといった感じか。それが今だと知識もついてきて、なるほどこの練習にはこういう意味があるのかと納得して取り組めるようになってきている。そこからの応用もできるし、逆に原点回帰の道標にもなる。基礎だからと侮ってはいけないということですね。

 

このところ、演劇の技術向上って積み重ねではなく幅の広げ方なのかなと思ってきている。縦軸ではなく横軸への広げ方というか。年齢と共に培ってきた知識やスキルを、どれだけ垣根なく繋げられるか、この部分の柔軟性が大事なのかなと。よく演劇は、芝居のことだけじゃなく、他の芸術や読んだ本や日々の生活のことなどにアンテナ張って学ぶように言われる。芝居とは関係ないところの知識を芝居に応用させる、関係ないもの同士を繋げる架け橋をどれだけ多く作れるか、これが技術向上に結びつくのかなと思うのです。ただそうなった時基準となる軸が必要になってきて、それが基礎の部分になるわけですね。だから、基礎をつける練習というのは非常に大事だったなと思うわけです。

 

何年か役者をやってきて基礎練の話に立ち返る。これは次のステップへの前段階なのかもしれない。そう考えるとなんだか高揚しますな。