小太刀賢のアーティチョーク茹でました

役者・小太刀賢が、日記のような週記のような、日々のよしなしごとをそこはかとなく書きつくるブログです

ままどおる

みなさん、こんばんわ。

 

今日、ままどおるというお菓子を食べた。福島の和菓子、ミルク味がまったりしていてとても美味しかった。なんだか優しい気持ちになる味でした。ひと口、あるいはふた口で食べれちゃうサイズだから、気をつけないとぱくぱく食べちゃうね、あのお菓子。

 

お菓子。とてもいい響きだ。昨今は甘いものは体によくないとか、ダイエットだなんだって悪く言われがちなお菓子。でもさ、甘いものっていいよね。特に疲れてる時の甘いものは格別だ。

 

和菓子と洋菓子どちらが好きかと聞かれたら、少し悩んで和菓子と答える。そう、いくらか和菓子に軍配があがる。なんせ餡子が好きなので。

こし餡でも粒餡でもどちらも好きだし、ままどおるのようなあずきじゃない餡子も好きだ。餡子を使ってるってだけで、そもそもの好感度が高い。

 

かといって、洋菓子はあんまりってことではない。洋菓子も大好き。チョコレートなんて大好物だし、クッキーとかビスケットも好きだ。ようは、比較の問題でって話で。

 

お菓子という大きな括りじゃなくて和菓子とか洋菓子って分けた場合はどちらがより好きかって優劣があるけれど、その大きな括りで見ればそれも些細な違いでしかない。好きってそういうことな気がしている。

これを好きだからあれを嫌いってことは必ずしもないし、あれを嫌いだからといってこれを好きかといえばそうではない。単純に好きなものは好きで嫌いなものは嫌い。でもそれだって明確にどうこうってわけじゃあない。

 

何が言いたいかといえば、好きって気持ちはとても曖昧で、その曖昧さをそのまま受け入れればいいんだろうなということ。自分の中で好きをしっかりと細分化する必要はないだろうよという、感覚的に、なんとなく好きだなぁをいっぱい抱えてるのがいいよなということを思ったのです。

 

好きの尺度って人によって違うから、自分の物差しを相手に向ける必要は当然ないし、逆に、周りの物差しに合わせる必要もない。自分の好きを、自信を持って、または少し疑ったりもしながら笑、自分の感じたそのままを受け入れるのがいいよね。頭で色々考えるより、心って正直だと思うから。

 

だから、自分の中に生まれた好きって気持ちをしっかり汲み取ってあげるために、日々いろんな好きに出会っていこう、そうままどおるを食べ終わって思ったのでした。