小太刀賢のアーティチョーク茹でました

役者・小太刀賢が、日記のような週記のような、日々のよしなしごとをそこはかとなく書きつくるブログです

ふとした瞬間、何気ない景色、無意識が教えてくれること

みなさん、こんばんわ。

 

○上京してなんだかんだ10年以上になるけれど、いまだに東京に慣れた気がしない。いや、普通に生活する上で不便があったり何か困ったことがあるとかではない。でも何気ない瞬間に、東京はどこまでいっても仮の住まいなんだなと思ってしまう。

僕は群馬県のいわゆる地方都市出身でして。だから実のところ、都会ってあまりしっくりこない。新宿とか渋谷、六本木とか丸の内とか、普通に楽しい場所だなと思いはするけれど、肌感覚として馴染むことがない。むしろそれより、そんな都会の中にある垢抜けない部分、田舎にも通ずるような部分に出会った時に、妙な心の落ち着きを感じ惹かれてしまう。

 

別に写真で切り抜くような特別な場所じゃない。ぱっと見では区別がつかないくらい何処にでもある場所。そんな、大通りから一本ずれたところにある住宅街なんかになんとも言えないノスタルジックを感じて胸がきゅっとなったりする。このきゅっとなる感覚、それはどこか嬉しい気持ちなのかもしれない。どんだけ煌びやかな都会にも、僕が生まれ育った場所に通ずるような部分があったりするのだ。そこには人々の営みが感じられる。あからさまではなく、ひっそりと滲み出るような生活感。そういう場所を見つけると、なんともいわれもない高揚感を感じるのだ。

 

○旅行に行った時、そこで見た絶景だったり食べた美味しい料理とかよりも、目的地までの道すがらだったりふらふら歩いた特に面白みもない小道なんかが後々まで印象に残るってことがよくある。その時は何も考えず、むしろ違うことに気持ちがあって見落としてしまっていたであろう景色が、雨上がりの葉っぱのようにひっそりと、それでいてぴったりと脳裏に張り付いている。きっとその何気ない風景は、意識としては「何気ない」ものとしていたのに、無意識ではとても大事なものだと認識したのだろう。

 

どこにでもあるような景色や風景、でも自分の記憶に結びついたその眺めにグッとくる、それは無意識の自分との対話のようだ。なるほどそう、あなたはこの眺めを、知らないうちに大事だと感じていたのね。僕が見落としてしまったものを、あなたは丁寧に汲み取ったのだね。知らない自分に出会える気がして、今日もどこかをそぞろ歩きしたくなる。