小太刀賢のアーティチョーク茹でました

役者・小太刀賢が、日記のような週記のような、日々のよしなしごとをそこはかとなく書きつくるブログです

ささやかな生命維持装置

みなさん、こんばんわ。

 

今朝、いつもよりうまく珈琲を淹れることができた。何を変えたわけではないけれど、とにかくいつもより美味しかった。それだけでなんだか、今日一日がうまくいくような気がした。

 

今になって今日一日を振り返ってみると、特にいつもと変わりのない一日でした。普通の一日。朝感じたような、何かうまくいく、みたいなことは起きなかった。

それでも、珈琲がうまく淹れられたからその日一日もうまくいく、みたいな、気休めかもしれないけどささやかな思い込みが僕は好きだったりする。

 

プラシーボ効果じゃないけれど、人は案外騙されやすい、というか、気の持ちようでどうにかなっちゃったりするらしい。たしかに、同じものや景色を見てみても、気分が乗ってる時とそうでない時では見え方が違ったりしますもんね。だから、珈琲がうまく淹れられたからその日一日がいい一日になるっていうたわいもない考えも、目に見えてではなくてもなにかしら身体に良い影響を与えているのかもしれない。もしかしたら今日が、いい一日になるって思い込んでいなければ散々な日になっていたかもしれませんしね笑

 

僕は、特にゲンを担いだりするタイプではない。毎日欠かさずやるルーティーンみたいのもない。そういうことには鈍感だ。むしろ、そういう決まり事みたいなのを作らないように注意しているところがある。なにかしら自分でルールを作ってしまうと、それを常にやらなくてはと自分で自分に負荷をかけてしまうし、もし破ってしまった時に負の感情に飲まれてしまう気がするから。

でも、上に書いた珈琲のことみたいに、ちょっとしたことでテンションを上げようとしたりはする。自分を甘やかすというか、自分で自分にご褒美を与えるような感覚。

甘やかすってのはあんまりよくないことな気がするけれど、自分で自分を調子に乗らせるのは大事な気がするのです。それでだいぶ生きやすくなった気がするし。別にアルコールとかタバコみたいに体に害があるわけじゃないしね。

 

そう考えると、世の中気の持ちようなのかなって思う。僕が生きているこの世界は僕が見て感じた世界なわけだから、そして僕には僕の考えや感情しかわからないわけなのだから、だとしたら自分で自分をいいように騙すってのは必要だよなと。

 

ケーキいっぱいは胸焼けがするけれど、金平糖を一粒二粒ささやかなご褒美で、これからもどうにかこうにかやっていけそう。