小太刀賢のアーティチョーク茹でました

役者・小太刀賢が、日記のような週記のような、日々のよしなしごとをそこはかとなく書きつくるブログです

人間って不思議だな

みなさん、こんばんわ。

 

オリンピックを見ていると、ほんとに様々なスポーツがあるのだなと気付かされる。自分が接したことないスポーツのほうがむしろ多くて、今回のオリンピックで初めて知ったスポーツもある。

 

今まで何の不思議も感じずに見ていたけれど、これどうして競技になったのだろう、スポーツとして確立したのだろうって思うのがいくつもあった。

 

例えば体操。ゆかはわかるのだけど、あん馬や平行棒ってなんなんだ。なんであそこで演技をしようってなったんだ。鉄棒だって意味がわからない。自分一人じゃ掴めないような高さにある鉄棒でなんでくるくる回るんだ。どこかの部族の成人への儀式が進化したもののようだ。

 

水泳のシンクロナイズドスイミングも改めて見てみると不思議だ。シンクロして演技をするのはわかるけれど、あの水の中での動きはどうしたって身体に負荷のかかる動きをしている。痛めつけてるってことではないけれど、いったい誰がこう負荷のかかることを始めたのだろうか。

 

僕はあまり身体を動かすのが好きではない。だからスポーツをするにしても全身全霊をって感じではなく、楽しく気持ちよく汗がかけたらいいなと思っている。でも演劇の場合は、その可能性がある場合には、何か自分の限界に突き進んで作品を体現したいと思っている。それはもしかしたら、今オリンピックを戦っている人たちと重なる部分もあるのかもしれない。烏滸がましいことを言えば。

 

僕が上に書いた、あん馬や平行棒、シンクロナイズドスイミングなんかも、やっている方々からしたらしごく当たり前のことで、なぜってことではなくやっているはず。むしろ演劇をやっている僕らを、なぜ虚構を作り上げることにそんなに真剣になっているのと思っている人は多いかも。そんな方々に、演劇の歴史がこうだからってことでなく、ただただやりたいからやっているのだと答えるはず。

だからまぁ理由がどうということでなく、スポーツであっても演劇であっても、DNAなのか、本能に刻まれたものに突き動かされてやっているのだろう。結局、人間って不思議だなってことなのかもしれないけど。