小太刀賢のアーティチョーク茹でました

役者・小太刀賢が、日記のような週記のような、日々のよしなしごとをそこはかとなく書きつくるブログです

ただじゃ転ばないぜ、人間

みなさん、こんばんわ。

 

「たすいち春の短編まつり」、なんと配信チケットをご購入いただけるのが本日23:59までとなりました。みなさま、買い忘れはしておりませんか。

 

今回が配信ということで、普段は見に来れないような地元の知り合いや海外にいる親戚にも見てもらえた。あらためて考えてみてすごいことだよな。今までだったら中々考えられないことだった。このコロナ禍、多くの方がこなくそと牙を研いできた結果だよな。ただじゃ転ばないぜ、人間。

 

配信によって舞台やライブをオンラインで届けることができるようになったおかげで、時間や場所の制約からある程度解放された。オンライン演劇のように、初めから演者が1箇所に集まることをしない演劇も生まれたし。それでもまだ制約が全部無くなるわけではないけれど、むしろその制約は、演劇が演劇たる所以だろうから、むしろそれが浮き彫りになるのはいいことなのだろう。

 

配信公演が盛んになって、舞台を映像で見る機会が増えたように感じるけれど、昔から舞台を撮影してビデオやDVDにしたり、ゲキシネのように、映画を作り上げるように舞台を撮影するってことはあったわけで、舞台作品を見るっていう観点だけで言えば、配信公演であっても突き詰めれば撮影された舞台作品なのであって、これまで撮影されてきたものたちと変わらないといえば変わらない。

でも今回配信公演に特化してみて分かったのは、配信公演は、純然たる舞台作品のようなお客様からのリアルタイムな反応が得られるし、それでいて公演が終わった後も盛り上がることができる。舞台公演とそれを撮影して編集しソフト化したものとの中間にうまいこと配信公演は生息しているのだとわかった。これはやってみるまで気付かなかった発見だ。

 

ただ、配信公演にすごくポジティブではあるけれど、これが全ての解決策になるとは思わないし、配信公演に向かない作品だってあると思う。特に今回のような無観客での配信には。配信公演が何かに取って代わることはないだろう。というより、より舞台でやること、映像でやることのポイントが顕著になってうまい差別化ができるんじゃないかなと思っている。その住み分けというか、何ができて何ができないかの線引きにより敏感になっていけることが大事なのかなと思ったり。そう、住み分けなんだな。自分に適した水質にいなきゃ、気付かないうちに傷付いちゃったりしちゃうのだ。