小太刀賢のアーティチョーク茹でました

役者・小太刀賢が、日記のような週記のような、日々のよしなしごとをそこはかとなく書きつくるブログです

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みなさん、こんばんわ。

 

9月下旬に稽古が始まった「息を止めるピノキオ」、昨日無事に全ステージ終了いたしました。

ご来場くださいましたお客様、またこの公演に関わりましたすべての方に御礼申し上げます。

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とても感慨深い公演だった。それが一番の感想だ。

 

正直言えばね、なかなかどうして難しい公演でした。それは個人的にと言うことなのだけど、幕が上がるまで不安で仕方なかった。稽古をしてもしてもゴールに辿りつかない、ゴールは見えているはずなのに、そこに向かってみるとそれは幻で、もっと遠くにまたゴールが浮かび上がって見えてくる、そんな感じでした。薄靄がかかった中を、立ち止まることを恐れて進み続けるみたいな心持ち。

 

それがね不思議なことに、劇場に入って音と明かりと美術ができて、いざそこでやってみると、これがすっと物語に入れるのだ。体をがんじがらめにしていたあの不安はなんだったのかというくらい、すっとそこに立って芝居ができたのでした。きっとその空間に物語が立ち上がっていたからなのでしょう。あとはもうそこにいればいいやという、諦めにも似た前向きさで演じることができた。

 

「息を止めるピノキオ」は僕にとって特別な、思い入れのある作品だ。たぶんこの作品に出会っていなかったら、今もう芝居をしていなかったと思う。

 

6年前の渋谷で、僕は役者としての立ち方を学んだ。あの真ん中に柱のある、天井が低くひんやりとしたブラックボックスで僕は、役との向き合い方、相手との向き合い方、作品との向き合い方を学んだ。役として生きるということ、本から立ち上がるその役の呼吸を理解し、相手とその呼吸を合わせる、そこから生まれる化学反応を肌で感じ取り進んでゆく。

 

あの年は僕にとって特別な年だ。「息を止めるピノキオ」から始まり「最高傑作」「1bitの深呼吸」へと続くあの渋谷での1年。忘れることはない、むしろ今の僕の礎だ。

 

そんな特別な作品を今回再度やるという。しかも今度は少し側から物語を見つめながら。終わった今、これで次に行けるなという気がしている。

 

特別な作品だ。でも特別だったからこそ縛られてきたのかもと思う。

 

今回あらためてもう一度やってみて、できてなかった部分はあれどやり切った感が自分の中にはある。あの物語は今回しっかり生きた。あとはもう考えなくていい、そっとしておこう。

 

ここからは、今までとは少し違う役者人生になる気がしている。具体的にどう変わるかはわからないし、明確な変化なんてないんだろうけれど、それでも前の自分とは違うという予感だけはしっかりと感じられる。

 

次はたすいちだ。ホーム。思う存分やったるぞ。

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