小太刀賢のアーティチョーク茹でました

役者・小太刀賢が、日記のような週記のような、日々のよしなしごとをそこはかとなく書きつくるブログです

不安との付き合い方

みなさん、こんばんわ。

 

一昨日は、たすいち「足がなくて不安」の稽古でした。

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まだ稽古が始まったばかりで全貌は見えていないけれど、今までとは違う面白さになるんじゃないかなという気がしている。勝手に、だけど、というより、今までと違くなくちゃいけないんじゃないかなと思っている。それは焦りからくるものなのかもしれないけれど、何か変化が欲しいと思っている。まぁ変わって欲しいっていう願望でしかないのかもしれないけども、とにかくいくばくかの新鮮味があることでしょう。停滞は後退ですからね、変化を恐れず前進前進。

 

今回は悪霊が出てくる話。ホラーではないけども、それでも悪霊は出る。

 

僕は悪霊に出会ったことはない。幽霊的な何かを見たこともない。だからといってあまり積極的に会いたいとは思わない。信じてないわけじゃないんだけどね。「悪」霊ではなく楽しい幽霊ならいいけども。

 

何か霊的なこととか、あとは妖怪とか物の怪の類いの不確かな存在のものって、元々は安心する為のものだったように思う。

 

昔は今よりもわからない事柄が世の中に溢れていた。わからなければ説明がつけられないわけで、その説明がつかなくて摩訶不思議なものは自然と幽霊や妖怪などの影響によるものとなった。昔は病気も何か霊的なものの仕業と思われていたりしてたし、考えてみればそれはスムーズな流れだ。

 

それは今から考えればおかしな話だけれど、科学も何も発達してない世界なら、未知の領域をそのまま残しとくより自分たちの手の届かない世界の仕業と処理してしまった方がよっぽど安心感を持てる気がする。

 

自分たちの考えの及ばない不安なものには、また違う種類の恐ろしさという不安をぶつけることで相殺する、人間の知恵って面白いね。

 

本で読んだのですが、脳には「神さまが見える領域」があらかじめあるらしいです。側頭葉の上の部分、左半球にあるみたい。その部分が何の目的で僕らに神さまを見せるのかわかりませんが、少なくとめ僕らには、生まれた時から神さまを見る才能があるということだ。ということは、神さま以外の幽霊や妖怪だって見ようと思えば見えるわけだ(「実際に」見るっていうのとは話が違うけれど)

つまり、僕らが何か自分の想像の範疇を超えたものに遭遇した時に霊的なものと結びつけやすいのは、それは当然の流れと言えばそうなのかもしれない。

 

とまぁそんなことをちょろちょろ考えたりしました。

本編が実際どんなもんになるのかは乞うご期待ではありますが、確実に面白いものにいたしますので、楽しみにしていてください!

 

たすいち第31回公演

「足がなくて不安」

2019年12月4日(水)〜8日(日)

サンモールスタジオ

一般 予約 3,500円/当日 3,700円

 

公演の詳細はこちらよりご確認いただけます

http://tasuichi.wixsite.com/tasuichi/31

 

ご予約はこちらからお願いします!

http://ticket.corich.jp/apply/103481/016/