小太刀賢のアーティチョーク茹でました

役者・小太刀賢が、日記のような週記のような、日々のよしなしごとをそこはかとなく書きつくるブログです

真っ青なエーゲ海を夢見て

みなさん、こんばんわ。

 

最近、村上春樹の「遠い太鼓」を読み返している。

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1986年の秋から1989年の秋にかけての3年間、彼がイタリアやギリシャに滞在していた時のことが書かれている、エッセイというか旅行記のようなものです。何年か前に一度読んでいるのだけど、久しぶりにまた読んでみたいなと思って引っ張り出してきた。

 

僕はこの本が結構気に入っていて、その理由としては、滞在先の良いとこ悪いとこを個人的尺度で忖度なく書いているからだ。彼自身が本の中で、これは気の赴くままに書いた日記のようなスケッチと記しているように、いわゆる旅行記っぽくなくてそれがいい。この国のここに行くべきだあそこのレストランは絶品だなどの有益な情報は少なく、この国のここがよくないあれがよくないという悪口とともに彼の異邦生活が綴られていく。スケッチという言葉がしっくりくる、日記より対外的で旅行記より個人的な、メモの走り書きを読み物サイズに膨らませたものといった感じである。

 

この本を読んでいて、とてもギリシャに行きたくなった。前に読んだ時も行きたくなったけれど、今回もしっかりなった。

 

本の中では、ギリシャについて結構辛辣に書かれている。それはまぁ、彼が滞在していたのがシーズンオフの時期で天候や観光に恵まれなかったからなのだけど、そう辛辣に書いてあればあるほど好意的に書かれている部分が際立ってよく見えてくる。今まであまりギリシャには惹かれなかったが(以前読んだ時を除いて)、こうなると死ぬまでに一度は、あの目が眩むような真っ青な海と真っ白な家々を拝みたくなるってものだ。

あまり海水浴に興味がないけれど、ギリシャに行ったらぜひ泳ぎだいなぁ。砂浜で日光浴もしたい。

 

いつかここに、ビーチ近くのタヴェルナでカラマリ食べてビールを飲む様を書きたいなぁ。

気持ちの上でセンチメンタルジャーニー

みなさん、こんばんわ。

 

家から駅までの道すがらに、しっかりとした向日葵が植わっている。太陽に向かってピンと伸びたその様は、自分こそが夏の象徴であると誇示しているように見えた。

 

つい先日までその勇ましい姿を見せていたのに、今日朝見たら、葉や花は枯れ、花の部分がクタッと折れて下を向いてしまっていた。その姿はひっそりとして弱々しく、もう夏が終わってしまうことを謝っているようにも見える。

 

8月も下旬。暑さもだいぶやわらぎ、肌感覚でもいよいよ夏の終わりを感じる。

たまに香る蚊取り線香の匂いも、夏の訪れを喚起させるウキウキ感ではなく、終わりの儚さを連想させる。

 

それでもまだ、秋の訪れは見えない。夏の終わりであっても秋ではない。夏と秋の間。微妙で不安定な時期。

 

最近になって気付いたのだけれど、僕はこの不安定な時期がどうやら好きみたいだ。

 

窓から入る風がどこか涼やかだったり、不安定な天気で雨がざっと降る感じとか、漂う空気の中に、夏が過ぎ去ってしまうことの物悲しさがある気がして、それをふと感じる瞬間が好きだ。

 

もう戻らない夏。暑くて辛かったけれど、それでも楽しかったなぁなんて感慨にふける。海やプールや花火、今年も夏らしいことはしなかった。だけど夏が過ぎる物悲しさは感じる。心の奥を、慎ましやかにそっと、それでいて鋭くキュッとつままれるような、そんな物悲しさ。

 

他の季節の終わりにはあまり物悲しさを感じないのに、夏の終わりだけはやたらセンチメンタルになるのは何故だろう。

 

今ちょうど舞台と舞台の間でぽっかり時間がある。だからこの夏終わりの不安定さをじっくり感じている。

歯車をきりきりしめて正していくのも大事だけれど、あっちこっちと気持ちの揺らぎに身も任せてみるのもまた一興な気もする。

かたかたぬいぬい

みなさん、こんばんわ。

 

最近、バイトの短期的なイベントでミシンを使っている。ミシンを使うのなんて小学校の家庭科以来だけれど、今使っているミシンがコンピュータ制御のものなので、初心者のような僕でもどうにかこうにか使えてしまう。

 

久しぶりの裁縫は面白い。かたかたと布を縫い合わせる作業は無心になれていい。それに、着々と出来上がっていく様が目に見えるので楽しい。針と糸なんてボタン付けくらいでしか使わないのに、ミシンがあったら便利かも、ミシン欲しい、なんて考えてしまう笑 まるで、星の勉強をちょっとしただけで望遠鏡が欲しくなってしまう子供のような感じだ。

 

ここ数日使っているだけだから、ミシンの扱いがそれほど上達しているわけではないけれど、なんとなくの個人的解釈のコツを掴んできた気はする。技、と呼べるほどのものではなく感覚の部分、理想とする部分へのアプローチの仕方がなんとなくわかってきた感じ。ここをこうするにはって部分の対処の方法が見えてきたと言ったらいいか。

 

物事って、この自分なりのコツが見えてきたところからが面白いですよね。コツって、物事の本質が垣間見えたから見えてきたわけで、つまりは本質に近づけているってことだと思う。しかもその本質までたどり着く道筋は、周りからの助けはあれどそれでも、自らがあれこれと悩み間違え選び抜いた道筋なのだ。まるで宝探しのように。

 

まぁただ、今は楽しく裁縫しているけれど、これからもずっとやっていきたいかって言えばそうじゃないんだよなぁ。衣装を作るのに便利だとは思うけどね、細かくて繊細で、丁寧さを求められる作業は向いてないんだよね…笑 今はバイトだから頑張れてるわけで…笑

 

それでも、ミシンを使うなんて滅多にない機会だからね。こういう機会があるのはありがたい事だ。普段興味を持ってないものは、こちらから積極的に関わろうとは中々思えないから、今回みたいな図らずもな機会ってのはかなりラッキーなことだと思うのだ。

 

裁縫に関しては気持ち前のめりとはならなかったけれど、いつの日か思いがけないきっかけで、一生を捧げてしまうような何かに出会うかもしれない。

はてさて、これからの人生はどんな風になるのでしょ。

 

浮かれた格好がしたいお年頃

みなさん、こんばんわ。

 

先日、ちょっとした買い物のついでにふらっと古着屋に立ち寄った。アメリカ古着が比較的リーズナブルな価格で売られているお店で、これもいいなあれもいいなと手に取りつつも、結局何も買わずに冷やかしで店を後にしてしまった。店を出てから、あぁ古着を思う存分買いたいなぁと思った。

 

古着、好きなんですよね。あの少しくたっとした生地とか、ちょっと古めかしくて独特なデザインとか、良質な生地がふんだんに使われているものがあったりとか、その現行物にはない一点物感が好きなんですよ。

 

と言って、あんまり古着持ってないんですけどね笑

古着って要は昔の服で海外の物が多いから、サイズが僕には大きいものが多いんですよね。だから中々自分にあったのが見つけられなくてあまり買えていないでいる。

 

でも最近は、サイズなんか関係ない、気に入った古着をどうにかこうにかコーディネートしてやるぜって気持ちになっている。なんの心変わりかわからないけれど笑

 

せっかく買うなら、一風変わったのがいいななんて思ってしまう。手持ちの服とのバランスは考えるけれど、ひねりは効かせたいよねと思う。

 

久しぶりに買おうかな、古着。

というか、最近服自体あまり買わなくなってきているからなぁ。物欲が落ち着いているというか、手持ちので満足できてしまっている。

でもねぇ、せっかく古着欲が出てきていることだし、近々古着宝探しでもしようかな。

おっ、そう考えると、なんだかわくわくしてくんなぁ。

夏を後ろに感じて

みなさん、こんばんわ。

 

8月半ばということでまだまだ夏真っ盛りな今日この頃ではありますが、気持ち的には今、夏の終わりを感じています。劇団肋骨蜜柑同好会の公演が終わって一山越えてやりきった感覚が強いからか、テンションが妙に落ち着いちゃって。だからか、気持ちはもう秋に向かってしまっているようだ。

 

昔は夏が好きじゃなかった。なぜかと言えば、もともと暑いのが苦手ってのもあるんだけど、それより、夏にあんまりいい思い出がなかったからだ。

 

夏といえば部活で、中学の時に野球部で散々に辛かった。熱中症で2回くらい危ない状況があったもの。今思い出してもあの辛さが蘇る…笑 練習最後のベースランニング…よく耐え抜いたなぁ…

 

あと、夏といえばの海にも縁がなくて、それも夏があまり好きじゃなかった理由の一つな気がする。

僕の地元は群馬県なので海なし県である。海って気軽に行くような場所ではないので、海にはほんの数える程しか遊びに行ったことがない。そして、その数えるほどの大半で海を満喫できなかった。小学生の時の林間学校では台風が過ぎたばかりで海が荒れていて入れなかったし、修学旅行で鎌倉に行った時は赤潮がひどかった。てんで海には縁がない。上京して海に比較的簡単に行けるようになったけれど、それでも過去のトラウマか、あんまり海に興味が湧かない。

 

そんな夏があんまりな僕ですが、ここ2、3年はなんだか夏が好きになってきている。

相変わらず暑いのは駄目だけど、それでもそれ以上にここ最近は夏にステキな経験をすることが多くて、だから夏っていいじゃんと思っている。

 

夏のステキな経験、それは、成長できて楽しい公演に出会えたこと。

 

今回の劇団肋骨蜜柑同好会の公演もそうですし、昨年のナイゲンや、一昨年の横浜であった劇王も随分楽しい公演だった。

 

肋骨、ナイゲン、劇王、そのどれもがチャレンジングであり、その時に必要な何かを教えてくれる公演だった。

劇王でいえば演劇の大会に初挑戦だったし、ナイゲンでは初めての会議劇&コメディでしたし、今年の肋骨は久しぶりの会話劇だった。初めてだったり久しぶりだったり、いつも以上に課題難題はあったけれど、その分ぶつかりがいがあって、その壁を越えた時の達成感はなんとも言えない高揚感のあるものでした。

 

気持ち的に夏はもう過去になってきているので、来年の夏がもはや待ち遠しい。来年はどんな楽しい夏、もといチャレンジが待っているだろう。今からわくわくだ。

休演日。

みなさん、こんばんわ。

 

劇団肋骨蜜柑同好会 第11回公演

「ダブルダブルチョコレートパイ」

本日は休演日でございます。

 

明日からの本番に備えてしっかり休養…といきたいところなのですが、普通にバイトの1日でした笑

少しでも稼げる時にと働いちゃうのよね…こういう思考が後々本末転倒な結果に繋がらなきゃいいけれど、目の前の現実でいっぱいいっぱいになっちゃうよね。

 

でもね、たしかに労働を終えての疲労感はあれど、心持ち的には結構スッキリしている。

 

本番期間て気持ちがどうも昂ぶるといいますか、非日常状態になってテンションが張っている状態になるので、1日が終わった後の気持ちの疲労が大きい。頭や心がフル回転したんだなってのが本番終わりの帰り道にひしひしと感じられる。

 

それが今日みたいな日常がポッて入ってくると、昂ぶっていた気持ちがきりきりと調律されて、身体の疲れは出ても気持ち的には落ち着いてリラックスできる、気がする。

 

非日常といえど、それは日常があっての向こうの世界なわけで、日常にしっかりした土台がなければからからと崩れてしまうよね。

 

僕ら人間が演じている以上、どんなに突飛な作品だって、それは僕らの今いる世界の地続きな世界なはずなのだ。

 

だからそう、日常というか日々を粛々と生きて満たしていかないといけんのよなと思う。どうしても演劇ってものを、こことは違う何処かと認識してしまって、下手にタガを外してしまう恐れがある。そのことはしっかり気にして自身を律していこう。

 

気持ち的には普通に戻った。明日からまた遠くにジャンプする為の地面を足の裏にしっかり感じている。とはいえ身体もしっかり休めねばならない。自分で気づかない疲労が残っているはずなのだから。

 

今日は早めに寝て、明日からまた空高く飛び立とう。

 

 

……

 

…あっ…あの…、ミルク篇は8、9、10日の3ステ、まだご予約いただけますので、その、ぜひ見に来てくださいー!!!

 

劇団肋骨蜜柑同好会

第11回公演

「ダブルダブルチョコレートパイ」

8/3(土)〜8/12(月祝)

千歳船橋APOCシアター


詳細はこちら→

https://rokkotsumikan.com/stage/11th/

 

ご予約はこちらより→

https://rokkotsumikan.com/reserve/form?id=wwcp&member=kodachi

初日が終わったよ!(昨日)

みなさん、こんばんわ。

 

劇団肋骨蜜柑同好会

第11回公演

「ダブルダブルチョコレートパイ」

昨日無事初日が明けました!

ご来場くださいましたお客様、まことにありがとうございます!

 

ついにここまできたんだなぁという感慨が強い。

駄目なたすいちが終わってからまだ2カ月経っていないくらいなのに、なんだかすごく長い時間が過ぎた気がする。稽古がそんなに多くあったとかではないのだけれど、きっと一回の稽古の密度が高くて充実していたから、実際の日数以上に月日が経った感覚があるのかもしれない。

 

今回のお芝居、お客様にどう見えているのかがすごく気になる。

正義と悪があってっていうパキッとした勧善懲悪ではないし、作品として群像劇になるので明確な主人公というのがいないから、わかりやすい主軸があるわけではない。物語としてわかりにくいってことはないけれど、一役者としては見せ方が難しいなと思っている。一人一人の役の生き様の重なり合いによって物語が紡がれるのですが、なんと言いますか、自分の役を一生懸命生きるのが大事でありそこに集中していると、果たして物語として面白いものが作れたのだろうかわからなくなる笑

いや、面白いと思ってやっているし、外から目線も意識して作っているけれどね! でも、一生懸命やればやるほど、おれ、生きてるだけだしなぁ、みたいな心境になって…笑

だから純粋に、どう見えたのかの感想が知りたいっていう、そういう事でして。いつもよりどんな作品になっているのかが気になってしまうっていうことでした。

 

あと今回、いつもよりお客様の視線・存在を強く感じました。

覗き見られている、と書くとネガティブな響きになりますが、見られているという事実を強く実感する。そしてその視線によって、あぁ役者として、その役として存在できているのだというのを実感している。

お客様に見てもらう観測してもらうことで初めて、役者としてその役として舞台に立つことができる。それは共演者からの視線もおんなじで、でも真に役として成立するには、舞台の向こうからの視線が必要になる。

上に書いたように、僕は今回必死に役を生きていて、共演者との関わりによってその役が生かされている訳だけれど、その生き様が物語となるにはお客様の目線が必要になる。それがなければただ生きているだけで物語ではなくなってしまうから。

 

というわけで、今回は普段よりお客様の視線が気になるというかひしひしと感じられるのだ。それはもしかしたら、舞台という箱庭の中で演じている僕らがお客様からの視線を感じるのと、船という密室の中にいる役達が、ここではないどこかにいらっしゃるであろう神の存在を感じてしまうのとが似ているから、いつも以上に視線に敏感になっているのかもしれない。わからない。ただの自意識過剰かも笑

 

何はともあれ、見に来てください! 覗き見てみてください! 11人の生き様を!!

 

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劇団肋骨蜜柑同好会

第11回公演

「ダブルダブルチョコレートパイ」

8/3(土)〜8/12(月祝)

千歳船橋APOCシアター


詳細はこちら→

https://rokkotsumikan.com/stage/11th/


ご予約はこちらより→

https://rokkotsumikan.com/reserve/form?id=wwcp&member=kodachi