小太刀賢のアーティチョーク茹でました

役者・小太刀賢が、日記のような週記のような、日々のよしなしごとをそこはかとなく書きつくるブログです

紳士のスポーツから学んだこと

みなさん、こんばんわ。

 

大学一年生の時だけ、ゴルフサークルに入っていた。高校のころにゴルフ練習場にちょこっと行っていたので、大学に入って新しいことするにはってのでゴルフを始めた。同時期に演劇サークルにも入ってそちらにのめり込んでしまったからあんまり上達しないうちに辞めちゃったけど、それでもゴルフをやっていて感じたことは未だに活きている気がする。

 

ゴルフって、パッと見簡単そうに感じる。いくらボールが小さいとはいえ、止まっているボールを打つなんてわけないよと思ってしまう。でもこれがそう上手くはいかない。まず当たらない。止まっているボールに当たらない。当たっても前に飛ばない。飛ぶようになっても真っ直ぐ飛ばない。右に左にすっ飛んでいく。ある程度できるようになっていざコースに出ると、練習場でできていたことの半分もできない無残な結果が待っている。上手くいかないことだらけだ。

一応コースに出る時は何人かで出てスコアを競うわけだけど、始めのうちは誰かと競うことすら難しい。もう自分との戦い。思うようにいかなくてもイライラしない。練習でやったことを思い出すように平常心を保つことを心がける。そんな自分との戦い。

なんとか相手と競えるかなってなってきていざ勝負となる。でもその時に気付く。確かにスコアは競うけれど、その良いスコアを出す為には自分がしっかりしていなくてはならない。相手と直接やりあうスポーツじゃないから、相手がどうこうは極論関係なくなる。自分がどれだけ強くいられるか、つまり自分との戦いなのだと気付く。

 

ゴルフというスポーツが突き詰めれば自分との戦いなのだという考えを、演劇をやっている今同じように考える。演劇も、自分との戦いだ。そもそもまぁ競うってものでもないけどね。

 

自分との戦い。稽古でやったことが本番で出せるようにどれだけ平静を保っていられるか。そもそもその本番で出せるだけの力をつけるためにどれだけ自分を律することができるか。

昨日の自分より今日の自分。今日の自分より明日の自分。なんなら数秒前の自分とすら競っていかなくてはならない。競うべきは誰かではなく自分だ。

 

じゃあどうしたら自分と戦えるかといえば、その己を知らなくてはならないだろう。そもそも自分じゃない誰かを演じるわけで、その元となる自分をよく知り仲良くできなければ、それ以外の誰かになんてなれるはずがないのだから。

自分の普通とは何か、そうじゃない時はどうなるのか。自分を見つめて自分を知らねば、自分と戦うことはできないやね。

 

サイバレが終わって次回公演まで少し時間ができるので、ここからは自分との対話の時間だ。自分と会話し、自分の中にある渇望はなんなのか、求めるものはなんなのか、そこをしっかりと掬ってあげることは、日々を生きるための指針に繋がる大事なことなのだろうと思う。そうして自分を知ることで、いざ勝負という時に、相手となる自分と向き合えるのだと思う。

相手は他人じゃない、自分なのだ。これはでも日常生活でもそうなのかもしれないけれど。