小太刀賢のアーティチョーク茹でました

役者・小太刀賢が、日記のような週記のような、日々のよしなしごとをそこはかとなく書きつくるブログです

願わくは

みなさん、こんばんわ。

 

5月11日より、たすいち15周年と本公演「セイレーンの痕」の上演を記念して、『たすいち15周年の痕』という企画がはじまった。

たすいちを観てくださった皆様の心に「痕」として残っている作品を、#たすいち15周年の痕をつけてつぶやいてもらうというもの。どんな作品が挙がるのか、そしてどうして痕なのか、気になるところである。

 

自分の中での#たすいち15周年の痕はなんだろうと考えてみる。

観た中で痕として残っているのは、「キズツクキカイ」初演だな。久しぶりに観たたすいち、そのまとまりと力強さに驚かされたのと、同世代がすごいもの作っているっていうことの嫉妬を感じた。あの時の心の揺れみたいなものは今も覚えている。

 

自分が出演した中で残っているのは「ヒラエス」かな。春の短編集「宴」から関わっていて、長編短編ともにそこそこ出で、それぞれに特別な思いはあるのだけれど、痕っていうことだと「ヒラエス」になるかな。

「ヒラエス」は、その物語もそうだけど、その時の自分の有り様、たすいち劇団員となってまだ日が浅い中での気負いや劇団員公演ということのプレッシャー、そして役の心情などが混じり合って、いつもより気持ちが昂揚していた気がする。だから今も忘れられない作品だし、舞台上での感触のようなものを未だに感じることができる。

 

表層に見える痕ならわかりやすいが、内にできる痕は認識し難い。そこは本人の感覚の領域であり、こちらが完全に踏み込むことはできない。そんな痕となるようなたすいち作品。それを立ち上がらせることができていたならこれは嬉しいことである。願わくは、「セイレーンの痕」が誰かの痕となれますように。