小太刀賢のアーティチョーク茹でました

役者・小太刀賢が、日記のような週記のような、日々のよしなしごとをそこはかとなく書きつくるブログです

記者たち

みなさん、こんばんわ。

 

先日、「記者たち 衝撃と畏怖の真実」という映画を見た。2017年公開のアメリカ映画で、イラク開戦をめぐる「大量破壊兵器」捏造問題を実話を元に描いた映画。

 

主となる人物は、ナイト・リッダーという配信会社の記者であるストロベルとランデーという2人。ストロベルをジェームズ・マースデン、ランデーをウディ・ハレルソンが演じている。

 

イラク戦争というのは一応知識として知っていたし、その当時ニュースで見ないということはなかったけれど、それでもまだ中学生だった自分には、どこか対岸の火事といった具合でしかなかった。むしろ、この戦争は致し方ないものとすら考えていた。イラクが本当に世界の脅威であるならば、それはたしかに早めに食い止めなくてはならないだろうと。

 

でも実際はそうじゃない。当時のアメリカ政府は、嘘をついてまで戦争を起こした。そして、多くの人がその嘘を信じていた、あるいは嘘に乗っかっていた。

 

NYタイムズや、ワシントン・ポストという、名前は知っているような大手新聞社も、イラク戦争開戦は正当であると記事にした。しかし、ナイト・リッダーだけは、たとえ一社だけだとしても、真実を掴むために、文字通りの孤軍奮闘であった。

 

ここに描かれるジャーナリズムはとてもカッコいい。主役である2人だけでなく、ナイト・リッダーの人たちは、真実を突き止めるためにひた走る。自分たちの正義を信じて。報道の自由を信じて。時には非難され、迷い、自分たちを疑い、それでも目の前の事実に忖度ない目線を向け続ける。その姿は泥臭くもかっこよく、そして彼らの姿は希望ともなる。

 

しかし、現実は現実としてあるわけで、彼らの奮闘虚しく戦争は始まってしまう。のちに彼らが記事にしたことが真実だとわかるわけだけれど、それでも彼らが成し遂げたかった開戦を止めるということは叶わなかった。そこには、あまりにも揺るがない現実がある。正義が必ず勝つわけではない。うまく立ち回れたものが勝つのだ。それは昔から変わらず、そして今の世の中にも重なって見える。

 

この映画のような、真実に向かって突き進むバディ物が好きなんだと、映画を見てあらためて感じた。同じように、ウォーターゲート事件の真相を突き止めるために奮闘する新聞記者を描いた「大統領の陰謀」も好きだ。

と思ったら「大統領の陰謀」の話が映画にも出てきた。すこしニンマリしてしまった。