バイク、楽器、快楽主義
みなさん、こんばんわ。
本日から関東も梅雨入りしましたね。週刊天気予報を見ると雨マークばかり。憂うつやなぁ…洗濯物…
でもまぁこれはどうしようもできないものなので、割り切って雨を楽しんでいこう。うん。どうしたらいいのかはわからないけれど…笑
話は変わって、みなさま、SR400というバイクをご存知ですか? 1978年に発売されて今日までマイナーチェンジを繰り返しながら販売され続けているヤマハのバイク。僕はバイクに乗らないので詳しくは知らなかったのですが、バイク好きの中では結構有名なバイクらしい。今日はちょっとこのバイクについての話を聞いてきたのです。
詳しくはこちらのヤマハHPをご覧いただきたいのですが、
https://www.yamaha-motor.co.jp/mc/lineup/sr400/index.html
クラシカルなボディに乗ってみたくなるフォルムは、バイクに乗らなくてあまり興味がない僕でも、もし乗るならこのバイクがいいなと思わせてくれるものだ。
そのSR400についての話を聞いて面白いなと思ったのが、そもそものヤマハ発動機の歴史部分。
ヤマハ発動機は、当時の社長の川上源一さんが、楽器産業はいつまでも楽にできる商売ではないと考え、楽器製作の技術と、戦時中に飛行機の部品などを作っていた技術を活かして始まった。
楽器作製の技術がバイクのどこにと思うけれど、たしかにマフラーとかの菅の部分?は、管楽器のそれを思わせるし、楽器もバイクも、性能だけじゃなく見た目も重要というのがあるのは、なるほど共通する部分はあるのだな。
あと今日の話の中で興味をそそられたのが、そのヤマハの社長の川上さんがよく言っていたという「エピキュリアンであれ」という言葉。
エピキュリアン、快楽主義者という意味。
字面だけ見ると、なんだかよくなさげなイメージ。楽しければなんでもいいでしょ、何やってもいいでしょ。そんな感じ。でも実際はそういうことじゃないらしい。
エピキュリアンという言葉は、エピクロスという古代ギリシャの哲学者の名前からきている。
エピクロスのいう快楽とは、現実の煩わしさから解放されることを言うらしい。そしてそれは、幸福という目的のためのものなのだ。だからといって、やりたいことを何でもかんでもやればいいということではない。ある快楽を求めて、それに付随する不快が多くなればそれはしてはいけないということなのだ。
彼は、健康や友情や食事など、生きていく為に必要な要求を追求し、苦痛や恐怖に阻害されない平安な状態で生活することを求めた。大雑把に言えば、心穏やかな普通な暮らしを求め、していこうっていう。
もしかしたら川上さんが言っている「エピキュリアンであれ」は、心の平安を求めることとは違うのかもしれないけれど、でもその言葉から導き出された平安な暮らしを求めることって、すごく難しいことだ。普通でありそれが幸せっていうのが成り立つのは、よほどしっかりとした芯を自分の中に持っていないとだ。ついついいらない欲求・欲望に振り回されちゃうからね。
なんだか話がまとまらないのでここいらで。
かっちょいいバイクの話から生きる為の哲学へと意識がいった、そんなよい話を聞けたとっても有意義な日だったのでした。
(帰り際の紫陽花を載せてお茶を濁す。満開だよ、綺麗!)