小太刀賢のアーティチョーク茹でました

役者・小太刀賢が、日記のような週記のような、日々のよしなしごとをそこはかとなく書きつくるブログです

カット野菜

みなさん、こんばんわ。

 

一人暮らしをして結構な月日が経ったけれど、カット野菜って便利だなってあらためて思う。料理をするのに、野菜を使い切ることの大変さやそもそも野菜を切ることの面倒臭さっていうのは、一人暮らしするようになってようやっと身に染みたものだった。時間がある時ならいいけれど、バイトとか稽古からへとへとになって帰ってきて、よしじゃあ一から料理するぞ、とはならないものだ。でもカット野菜を使うと、それでも料理のハードルが下がって、まぁ軽く炒めるかと重い腰を上げることができる。ありがたいものである。

 

おんなじように、スーパーやコンビニにある惣菜もありがたい。あと一品欲しいなって時に、じゃあそれを作るってなるとそれなりの手間隙がかかって、時間も食材も予想以上にかかったりする。それなら惣菜をぱっと買った方が合理的だ。味も保証されてるし。

 

たしかに、カット野菜とか惣菜って、切る前の野菜や調理する前の食材から考えたら割高かもしれない。でも、それを切ったり調理したりの手間隙をお金に換算して考えればそんなに高いもんでもない。むしろそこに費やすエネルギーを考えればむしろお釣りがくるくらいかも。だから僕は率先して楽をしていきたい。

 

時間をかけて料理するのは嫌いじゃない。昨日おでんを作ったけれど、

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下準備も自分でちゃんとやって作った。もうあらかじめ調理されてるものや下準備されてるものだってあるし、実際それらは美味いんだけど、それでも面倒くさくても時間をかけて作った。結果美味しくできた。でもそれによって出来合いのものより俄然美味しくできたかといえば残念ながらそうじゃない。むしろ手間を考えれば出来合いのものの方が美味しく安上がりだったと思う。でもただ僕は料理がしたかったからしただけで、その料理の時間が楽しかったからそれはそれでいいのだ。

しかしこれも時間があったからやりたいと思ったわけで、時間のない時に同じことをしろってなっても楽しんでできなかったと思う。時間のゆとりは心のゆとりに繋がるからね。時間をお金で買えるなら買った方がいいこともあるさ。

 

ようはどれだけ手を抜くかってことなんだろうな。どこに重きを置くか。そこさえ見誤らなければ、だいたいはスムーズにいくんだろうな。